手で「書く」力―フォルカー・シュレンドルフ監督「シャトーブリアンからの手紙」を観て―

4年生の卒論指導の合間をぬって映画を見る機会が多くなっている。「シャトーブリアンからの手紙」は予告編を見たとき、しんどい映画であり観たくないと思った。

だが大学の構内で一人の職員の方に呼び止められ、観ましたかと尋ねられた。彼女は2回も観たそうである。大学内で、観た映画の話をされることは殆どないので、そうまで言われるからにはと、観たのだった。

話は第2次世界大戦時のフランスがナチスに占領されている時期に実際に起きた話で、ナントでナチスに抵抗する共産党員の若者が上の命令でナチスの軍人を射殺したことに端を発する悲劇である。怒ったヒトラーの、代わりに収容されているフランス人を150人処刑せよという命令に何とか反発、懇願する中で結局シャトーブリアンの収容所では30名を選べという命令に変わり、さらに理由をつけて結局27名が選ばれ、処刑されたという歴史的事実を映画化したものである。

これを見ながら昨年、学生たちを引率して行ったフランス文化研修で訪れたナッツビラ―強制収容所跡の光景が生々しく思い出された。そこには当然ながら今は、人はいないが、映画の場面も同じナチスによるフランス人の強制収容所での出来事である。

「夜明けの海La mer à l’aube」という映画の原題を邦訳では「シャトーブリアンからの手紙」としたのは、処刑される人々が処刑の直前に家族や知人に宛てる手紙を書き、最後の秘蹟を行う神父に預けたことからつけられている。処刑される人々は大半が共産党員やユダヤ人なのだが、釈放が決定しており妻ともとの生活に戻れる筈のその釈放当日処刑される若者や、女性用の収容所に収容されている少女と心を通い合わせることができたのに引き裂かれ処刑されてしまう17才の少年を強烈に印象つける演出となっていた。

映画のパンフレットによれば、その少年の名は、パリの地下鉄13号線、これは10年前パリ第8大学に通うとき利用していた線であるが、その線のある駅につけられた名、ギ・モケGuy Môquetであり、その悲劇を忘れないように彼の名がつけられたということである。

この映画の監督は一体何を伝えたかったのだろう。未来ある若者、若い夫までも理不尽な理由で処刑してしまう戦争の狂気だろうか? それだったらすでに多くの映画で描かれている。ぼくがこの映画の演出ですごいと思ったのは、処刑を命じられた一人の若いドイツ兵が、処刑の瞬間に耐えられずに、震え、仕舞いには卒倒してしまうシーンである。かれは虚構の登場人物だということだが、映画の中では今まで彼が入っていた部隊の上官とは逆に「何も考えるな」と命令されるのである。

その若いドイツ兵の姿こそが正常な人間の姿であり、それによってこそ戦争の狂気をあぶり出すことができていたと思う。

これを観ながら今年話題になった映画「ハンナ・アーレント」を思い出した。アーレントが告発したのは、アイヒマンが行ったことは、上の命令に極めて忠実に従って実行しただけだという意味で「凡庸な悪」と名づけたことで、彼女はそのことで世間の非難を浴びることになる。

「シャトーブリアンからの手紙」でも発端となったドイツ兵の射殺も、ドイツ軍を脅かす目的で上から出された命令にその結果も熟慮することなく若者が実行したことから始まる。ドイツ軍占領された状況下でどこまで抵抗できたのかは分からないが、フランス政府側の公務員も、もっと何とかできなかったのだろうかと思ってしまう。

処刑の際に目隠しをすることを拒否し、兵士を睨みながらインターナショナルを歌い、祖国フランスと自由の名を叫びながら処刑される人々の姿は感動的だが、彼らの中にも自分で考え抜いた行動ではなく、上の命令に従って行動しただけの人もいたに違いないと思う。この映画は自分の頭で考えることなく、命令に従うことの狂気を描いたものだと思った。

しかしこの映画の題名には「手紙」、しかも死の直前に直に手で書かれた「手紙」がつけられていることの意味は重要だろう。特にギ・モケが死刑執行場へ向かう列車内で書き、ドイツ兵にこっそり託し恋した少女にそれが届けられるシーンは圧巻である。

書道家、武田双雲の『書く力』(幻冬舎エテュケーション新書)の中に自分の手で書くことによって自分自身や他人の現実を変えることのできる例が示されていて感心したのだが、何よりも「書く」姿、特に自分の手で書く姿には感動させられる。

この映画を見終わってからだが、題目は思い出せないが、昔観た映画でマルキ・ド・サドが獄中で小説を書くため、インクを禁じられたので自分の腕を傷つけ、そこから出る自分の血で小説を書いて、人を通じて出版社に渡し、出版にこぎ着けるシーンをも思い出した。

あらためて、「書く」こと、それも愛しい人に向けて自分の手で書くことの力を思い出させてくれた映画であった。 (2014年12月29日。番場 寛)

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