介護施設での「ババ抜き」

最後に正月に家族でトランプをしたのはいつのことだろう?ぼくはトランプにめっぽう弱くて、家族の中で負けて泣いた恥ずかしい思い出もある。そんなぼくがひょんなことで何十年ぶりかに、トランプの「ババ抜き」をしたのである。

それは1月2日のことである。母が入居してお世話になっている介護施設に行ったときのことだ。入居者は、みな車椅子にすわったまま広間でテーブルについている。だれにも笑顔は見えず、黙ったままだ。そこに若い介護士の女性が、みんなトランプをしましょうと言ってトランプを持ってきた。みるとそのトランプは掌を広げたほど大きくて、老人にも見やすく作られている。

実際にやるのはそこにおられる入居者の中でも比較的元気そうな老人で全部女性だった。若い男女の介護士は何をやろうか話し合って「ババ抜き」をすることに決まった。

その時、不謹慎かもしれないと思いながらも、「お婆さんたちで行うババ抜きか」などと声に出してしまった。それを聞いた介護士は笑いながら、「ババア抜きじゃなくて、ババ抜きなんですよ」と返した。

それを遠くの席でそれをぼんやりと見ていた母が、ババ抜きだったら自分も知っていると声を上げたのには驚いた。なぜなら母はいつも介護士が何か勧めても遠慮するのが常だったからだ。

介護士も驚いたが、母も参加するよう勧めてくれたので車椅子を移動させ、母もゲームに加わることになった。全部で4人で、他の人にはそれぞれ介護士がついて助ける。母に配られた札を見たらジョーカーが入っていた。それを見た母が声に出してしまった。時計回りに札を取っていくのだが、母と同じく手を伸ばして取れない人もいる。

介護士は取ろうとした札を代わりに取ったり、手を伸ばすことさえできない人には「・・・さん、何枚目の札がいいの?」と尋ねたりする。そう尋ねられた母は「3枚目」と答える。それをもらうたびに同じ数字が見つかることが何度かあった。母の札をとなりのお婆さんに取ってもらうときは複雑な気になった。ゲームとしては勝ちたいのだが、相手にショックを与えてはいけないとも考えたからだ。

母は何枚目を選ぶのかと尋ねられる度に他の数字を知らないかのように「3枚目」とだけ繰り返したが、母が一枚残ったジョーカーを隣の人から取ってもらって一番で上がった。自分の記憶が正しければ、自分は今までトランプで勝ったことは一度もなかった。

再び離れたもとの遠くの席に戻り、ゲームの成り行きを見ていると介護士の若者もお婆さんに気を遣いながらもゲームに引き込まれているのが分かる。

やがて順に2人が上がり一人が残ったところでゲームは終わった。そのとき一人の介護士が「ああ、こんなに緊迫したゲームは久しぶりでしたよ」と誰にともなく言って笑った。

その後、一番負けたお婆さんに介護士は罰ゲームだと促したとき一瞬ひやりとしたが、驚いたことにそのお婆さんは大きな声で歌を歌い出したのだ。

その後二人の入居者が目隠しをされ、「福笑い」のゲームがなされた。他の入居者も母も相変わらず普通の人のような笑い声はたてないし、うつろな表情をしていることには変わりないがぼくには、そこには現れない彼女たちの笑顔が見えるような気がした。

遠く離れているため頻繁には会えないが施設の人には本当に良くしてもらっていると思う。十分にはできないが介護をする度に思うのは、自分が子どもの時に親にどれだけのものをしてもらったのだろうか、ということだ。してもらってことを少しずつ「返している」という思いだが、今はまだまだ返していないという想いだ。(2015年1月8日。番場 寛)

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