「引用」あるいは「反復」の力-「〇〇妻」第8話を観て-

第一回のみを観て思ったドラマの「〇〇妻」は「鶴の恩返し」の話なのではないかという予想はあっさりと裏切られた。妻が三年ごとの契約結婚にこだわり、こどもを作らないと頑なに言い張るのは、過去に自分が育児放棄をしたことで息子を死なせてしまったことがあったと分かり、愛する夫が自分の過去のそのスキャンダルのせいでニュースキャスターの職を追われることを怖れ、いつでも別れられるようにという配慮からだということが明かされた。

その事実を知った周りのスタッフや夫の家族の説得や妻本人の意向に沿う形で二人は契約を破棄し別れたのだった。

もう『家政婦のミタ』のときのように謎で引っ張ることはできなくなり、これからどうするのだろうかと思っていたが、昨夜の回は第一回にも劣らないほどのできばえですっかり感心してしまった。なぜそんなに面白いと思ったのか考えた。

それは「引用の力」によるもの、言い換えれば「引用」という形による「反復」の力だと分かった。

ずっと昔のことだが芥川賞をとって間もない宮原昭夫の講演を聞いたとき、かれはドストエフスキーの小説の素晴らしさについて次のように説明した。

普通の作家は悲劇を描くときできるだけそれと反対の喜劇的な要素はできるだけ省こうとするのにドストエフスキーは壮大な悲劇的な思いテーマを描くときそれをぶちこわしてしまいかねない喜劇的要素を盛り込むのであり、それが彼の作品の偉大さだという。

「〇〇妻」がなぜ観ていて面白いし、何よりも見続けることができるのかの秘密もそこにあるのだと思う。それまで自分が十分愛されてないと感じていたため「あの人」としか呼ばなかった母親(黒木瞳)が自分をかばって事故に遭い、入院した床で急に死にそうになり思わず「お母さん」と呼ぶのだが、実は演技で「お母さん」と呼ばせたかったのだと説明する場面や、夫の正純(東山紀之)はその名の示す通り、純粋で正義感丸出しで突き進むのだが、へまで(昨夜はガラスのドアに頭をぶつけてしまう)、すべての登場人物の悲惨な状況で交わされる会話もところどころ滑稽さが挟み込まれている。

その結果入院した病院で偶然、そこで看護師として働いている妻ひかり(柴咲コウ)と再開するのだが、そのとき正純が最初に出会った頃のように偶然リンゴを「食べないか」と差し出したとき、二人は同時に「会いたかった」と無意識的に声をそろえて発してしまう。これは滑稽さの後であるがゆえに、メロドラマ的効果が最大限に発揮された場面であった。

ひかりは看護師として病院で、絶望や失望した患者をしかったり励ましたりするとき、最後に、「これはある人が言っていたことです」と付け足すが、それは正純が番組で視聴者に向けて放った言葉だ。

中でも自分が身を引いた後正純とつきあっている若いキャスター愛(蓮佛美沙子)に正純がキャスターに復帰できるよう励まして欲しいと言って頼む言葉はいずれも感動的だ。「正純さんはみんなのヒーローなんだから、ヒーローと一緒に住むんだったらつらいのはあたりまだ。耐えなくてはならない」と言う。

彼女が他人に向かって言う感動的な言葉はどれも正純がテレビで語っていた言葉で、「…とある人が言っていました」と最後に付け加えられると、一瞬笑わせられるのだが、その直後にそれほど夫を、夫の言葉を愛していたのだということが観ている者に伝わり感動させられる。

正純の方は別れた妻の残した過去の彼への励ましの言葉が書かれた紙を何度も読み返すシーンも同じ効果を生んでいる。それほど今回放映分は完成されており、これでもうこのドラマは終わってもいいと思ってしまうほどの素晴らしさであった。

引用された言葉そのものが感動的なときもあるがそれ以上に「引用」を通じてそれを引用する行為、引用した人の想いに人は感動するのだと思う。

ぼくも学生たちに「…と〇〇先生が言っていたんだけどね」といつか引用してもらえたらと思うのだが… (2015年3月5日。番場 寛)

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