外国語が単なる「記号」から「言葉」として変化する瞬間 ―ある日の朝ドラ「まれ」とパリブレスト-

あるクラスで、週二回フランス語の授業を担当しているが、すべて素直な学生たちなのにうまくいっているとは言えないもどかしさをいつも感じていた。二人組でロールプレイをさせてもいやがらないでやってくれるのだが、なかなか覚えて発話するのは難しいようだ。そんなとき思うのは、彼らが悪いのではなく、実生活ではフランス語を使う機会がないから、本当の自分の思いを伝える「言葉」としてではなく、意味のない「記号」を覚えているような感じなのだろうということだ。

そんな中、少しでもきっかけになればと授業中に紹介しているのがNHKの朝ドラの「まれ」である。希(まれ)という名の女の子が、一流のパティシエを目指して横浜のMa chérie chou chou (私の愛しい人) という名のフランス洋菓子店で修行を重ねるお話は、ケーキの名にフランス語がつけられるので、少しでも関心を持ってくれればと、その度に説明していた。

中でもかの有名なセルジュ・ゲーンスブールのJe t’aime, moi non plus(「愛してる」「俺も、愛してないよ」)という名のケーキが紹介され、しかも例の音楽まで、冒頭とはいえ流れたのには本当に驚いた。愛の交歓の歌い方の激しさからバチカンで禁止になったことさえある歌だったからだ。

というようなことを説明した上で授業でもそれを流したが、学生たちの反応はいまひとつだった。まれはめきめきと腕を上げ、店長からフランスに生きそこで修行をつむように言われる。だが、彼女は事業に失敗した父親のことやそれ以上に今は離れて故郷の能登で輪島塗の職人として働いている結婚した夫のことが気がかりでフランス行きを決心できないでいる。

それでもフランスに行った場合に最低限自分にとって必要なフランス語の表現を、ことあるごとに口ずさんで覚えようとしている。 それは「ちょっと、待って下さいUn instant s’il vous plaît」「できるようになります J’y arriverai.」「もう一度やらせてください    Laissez-moi réessayer」等、店で客を前にしたとき、失敗も含めて必ず自分が使うであろう表現である。

そこまでは、学生たちが覚えようとしているのと同じだなと見ていた。ところがドラマでは、夫がデザインがうまく描けず、契約を結ぼうとしているフランスの一流ブランドから断られた時に、その家にたまたま帰っていたまれが、フランス人に考え直してもらおうととっさにケーキを作り、それを持って、契約を解除し出て行こうとするフランス人に向かって、Un insatant, s’il vous plaît とカタカナ式の発音だが呼び止めるのだ。そして覚えた他の表現も繰り返すのだ。輪島塗を世界に広めたいと必死になっている夫を助けたいという捨て身で放ったフランス語だった。

そのフランス語に引き留められ、まれに出されたケーキを見て、それを載せた輪島塗の器とケーキの色彩の調和に感心し、最終的には、もう一度チャンスを与えるのだ。

そのシーンにぼくが胸が打たれたのは、それは「記号」が「言葉」となってそれを発する人の心の奥底からほとばしり出る瞬間を見たように思えたからだ。がに股気味に両脚を踏ん張り、「ちょっと待って下さいUn instant, s’il vous plaît 」と発したときにはもはや発音は問題ではなく、必死の思いが伝わったのだ。

そのフランス人にもう一度チャンスを与えようとまで心を変えさせたまれの作ったケーキとは「パリ・ブレストParis-Brest」という自転車レースを記念して作られたのが起源だと言われている自転車の車輪の形の丸いケーキである。

テレビでそれを見た日の数日後のことだった。ある講義科目の試験の時間に、一人の女子学生が慌てて試験開始ぎりぎりに入ってきて空いている一番前の席に座った。ふと彼女のクリーム色のペンケースが目にとまった。

彼女に2年前にフランス語を教えた時のことを思い出した。彼女はその時は大きなカラフルなペンケースを使っていたのを覚えたいたから、どちらかというと地味なそのクリーム色のペンケースを見て少し驚いた。そこにはペン画で、絵とそれに添えられた言葉が描かれていた。

chou à la crème(シュークリーム)が読めた、描かれているのはみなケーキの名のフランス語のようだ。そう思って見ていくと paris-brest(パリ・ブレスト)もあった。

その人に潜在意識としてあるものが、漠然とした視覚情報の中から目に止まるのでり、それは見たいと願っているものだと書いてある本もあったがどうだろう。これは単なる偶然なのだろうか?それとも・・・(2015年7月28日。番場 寛)

広告

コメントを残す

コメントを投稿するには、以下のいずれかでログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中