下村敦史『闇に香る嘘』(講談社)を読んで

 ようやく卒論が提出された。学生の皆さんお疲れ様でした。

最後まで研究室に通って書き直し続けた学生たちのひとりに、フランスと日本における結婚について論じた学生がいる。彼女の苦労の末に辿り着い結論には少し驚いた。
 
フランスのようにパックスや同性婚もある国でもあえて「結婚」を選ぶ人は絶えない。なぜ「結婚」ということにこだわるのだろうか、という問いに対する彼女の結論は「人は家族を求めるからだ」というものだった。あまりに平凡で、ある意味自明のようだが、実際はそうではないことに気づく。
 
なぜなら「家族とは何か」というあらたな疑問へとつながってくるからである。法的な定義はあるのだろうが、血縁関係とは言い切れない結びつきを指していることもあるからだ。

前に「血が繋がっているとか、いないとかにこだわるけど、お父さんとお母さんは血が繋がってないんだよ」と何かの機会にある学生に言ったら、当たり前のことに気づかされて驚いていた。一体、血の繋がりとはどのような意味を持つのだろうか? それが個人のアイデンティティをどの程度の重要さで決定しているのだろうか?偶然手にしたミステリーで、その問題を再び考えさせられた。

普段、小説はかなり読むが、ミステリーは殆ど読まない。それなのにこれを手に取ったのは、江戸川乱歩賞受賞作品だということ以上に、その題名に惹かれたからだ。
 
最後まで読むと説明過剰なほどそのままだということが分かる題名も、最初目にしたときには「闇」と「嘘」が「香る」と言う言葉で結ばれただけで、たちまち謎を立ち上がらせた。
 
日本の敗戦時に、移住していた満州から日本に引き揚げた後、四〇歳を過ぎてから失明した男が主人公である、この主人公の設定がミステリーとしての成功を約束しているかのようだ。
 
ミステリーは、AなのかBなのか、あるいはその他のものなのかという想像力を可能な限り刺激することで成り立っているが、それが単なる犯人捜しだったらつまらない。
 
この小説の主人公は、中国残留孤児だったが帰国し、30年も故郷で母と暮らしていた兄が実は偽者ではないかという疑惑が起こることから始まる。そのきっかけは人工透析を繰り返すことで命を長らえている孫娘に腎臓を提供する人として、主人公の兄に頼んだとき頑なに拒否されたことだ。
 ミステリーなのでこれ以上は書けないが、光を失った主人公を設定することで、読者はまったく別世界に迷い込まされることになる。ある人物が離れた所に潜んでおり、声を発しなければ、物音と、臭い、触覚だけでは、そこに誰がいるのか知ることは出来ない。
 目に映る情報がない時、どれだけ白杖が頼りになるのかということを、また、それを折られた時の恐怖を読者は主人公とともに経験する。
 
それと同じく人工透析を受ける患者の身体の苦痛、今なお苦しんでいる中国残留孤児だった人たちの精神的苦痛をも読者は体験することになる。そして、親であり子であるとはどういうことなのか、という古くて新しい問題にも直面させられる。
 
この小説は、読者の身体的な認識、想像力を全的に解放することを強いるという点では純文学と何ら変わらないと思った。また逆に、優れた純文学と呼ばれる作品も、つねに「犯人は誰なのか?」ではない「AなのだろうかBなのだろうか、それとも・・・」「なぜ・・・なのだろうか?」とうミステリーと同様の問いに支えられた緊張によって成り立っているとも思った。(2016年1月16日。番場 寛)

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下村敦史『闇に香る嘘』(講談社)を読んで」への1件のフィードバック

  1. lodolma

    『闇に香る嘘』読みました!ぞくぞくしながら、あっという間に読み終わりました。ミステリーとしての側面だけでなく、「人の痛み」を感じ考えさせられる良い本でした。

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