パリに行かない夏

 2016年の夏はここ数年毎年のように行っていたパリに行かなかった。テロが怖かったせいではない。毎年参加している研究会が今年は早く終わり、9月になりパリがバカンスから動き始める時期まで滞在できないと思ったからだ。
 
それだけではない。久しぶりに机に向かって読書に専念したいとも思ったからだ。しかし予期しないことが起きてしまった。田舎の母が入院してしまい、妹と交代で病院に通わなければならなかった。幸い新潟の田舎はことのほか涼しくエアコンなしでもなんとかしのげた。
 
病院に行き帰ってくるまでの数時間を除いては、映画も演劇もダンスも観ることのできない禁欲的な時間を読書に当てることができる筈だった。しかしオリンピックがあった。中でも昔卓球をやっていたので、福原選手、水野選手のプレーには見ているだけでこちらの体まで反応した。ボールの回転の向き、ボールを打つコートの位置、相手との駆け引き、久しぶりに卓球の面白さを思い出した。
 
今は大学の仕事で京都に戻っているが、埼玉を回って帰るとき、彩の国さいたま芸術劇場でノイズムのダンス公演「愛と精霊の家」を観た。クラシックバレーの身体の動きをコンテンポラリー用にアレンジした振付に見えたが、コンパスを回すような身体の動きは、ただただ美しいとしか言えない作品で最初から最後まで面白いのにその60分は耐えがたいほど緊張して観ていた。
 
その後、ふとあるまったく拙いダンスを思い出した。それはたまたまもう20数年ぶりに一人で行った地元の祭りで観た子どもたちのダンスである。Exileの踊りを見ても何も感じないのに、Exileの曲に合わせて踊る田舎の子どもたちの拙いダンスが面白かった。          
 
神社はもとの位置にあったが周りに新興住宅が乱立しており、花火は殆ど上の開いたところしか見えなかった。夜店で昔好んで食べていた地元の業者のお饅頭を買って帰ってから食べたが、それなりに美味しかったが全く違った味に変わっていた。最初に作っていた業者が権利だけを他の業者に売ったからなのだそうだ。それでもそれを通して今は味わえない昔の味を懐かしんだ。
 
別の地区の親類の人からは、住民が年寄りだけになり祭りをすることが苦痛で止めたいという意見も出るが、みな「伝統を守ろう」という言葉で打ち消されてしまうのだと言う。またその2日前にも別の地区の祭りの屋台を見たが、少ない幼い子どもたちと小学生、中学生、中年の人たちで引く青年のいない屋台はどこか寂しげだったが、その屋台を見たら牛若丸と源平の人形の舞台が精巧に作られていてすっかり感心した。
 
ある日病院の近くを通りかかったら老人だけがトラクターで屋台を引いているお祭りに出くわした。そこは都会のど真ん中なのでそうなるのだと思ったが、そうまでして続けなくてはならない祭りの価値とは何だろうとも思ったが、たとえどんなに形が変わろうと現在もそこで住む人々にとって祭りは必要とされているのだろう。
 
飛行機で12時間も隔たった土地で過ごすことがマンネリ化することもあるのに比較的近くにある場所でもそれこそ大江健三郎の小説の題名ではないが「日常生活の冒険」のように違った視点で見ると発見があることを改めて思い知った。(2016年9月1日。番場 寛)

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