ゴジラより少女がいい―「シン・ゴジラ」「裸足の季節」「わたしの名は」を観て

 普段は巷でヒットしている映画は絶対観ないのだが、どうしても気になって庵野秀明総監督の「シン・ゴジラ」を観てしまった。なぜ観てしまったかというとある芸術家が絶対観ないぞと書いてある悪口に彼がいかにゴジラを好きかが現れていて観たくなったからだ。

最初は拍子抜けした。最初に現れたゴジラが縫いぐるみの蛇のようにリアルでなかったからだ。これがなぜヒットしたのか分からなかったが、時間が経つにつれて引き込まれていった。以下は予備知識なしに観たまったくのゴジラ素人の感想であり、ネタバレにも引っかかるかもしれないので注意して読んで欲しい。

この映画は自分にはあまりにも2011年3月に起きた福島の原発事故を想定して作られていると思った。海底の核廃棄物を食べてこのように巨大な化け物になってしまった生物という設定からだけそう思うのでなく、ゴジラが現れた時の政府の危機管理の対応の仕方は、ニュースでわれわれが知ることができた限りでの福島の原発事故への対応をなぞっておりそれを更に誇張しているように見えた。

今回の「ゴジラ」とは暴走し、人の生命と国家を脅かし、破壊する「原発事故」そのものだと思う。「シン・ゴジラ」のシンとは「新」というより「真」つまり本当の「ゴジラ」つまり「原発(事故)」の姿だと思った。

まだ観ていない人のためにこれくらいで止めておくが、人に勧めたいのは、フランス、トルコ、ドイツ映画のデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督「裸足の季節」だ。舞台はトルコで、親を亡くした5人の姉妹たちが厳格な伯父と伯母の家に預けられるのだが、宗教上の理由なのか、その家庭の特殊性なのか、本人達の意志は無視され、半ば牢屋に閉じ込められるような生活を余儀なくされている。

それをなんとか逃げだし、男の子と会ったりサッカーの試合に行くのだが、見つかってからは更に厳しい制限を受ける。一番年下の娘が、まったく気の進まない相手と結婚させられそうになった姉のひとりと脱走する話なのだが、それがゴジラなどとは比べられないくらいはらはらさせられるのだ。

5人の少女のしなやかな肢体、躍動感に酔いしれるが同時に彼女たちの強さ、たくましさにも感動する。

これを観ていて前に観たアニエス・べー監督の「私の名は」との共通点に気づき、驚いた。どちらも少女が自由を求めて脱走するのだが、その大きな原因に肉親や身近な男性の性的虐待があることだ。そしてどちらも彼女たちに性的欲望を抱かず、まるで友人のように接する年の離れた男性がいて彼女たちを助けることも共通している。

「シン・ゴジラ」が描いているのが現代日本社会そのものだとしたら、少女の2本の映画が描いているのは、性的欲望から自由になったときの「理想としての少女」なのだろうか?
                    (2016年9月3日。番場 寛)

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