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寺山修司記念館20周年特別公演 幻想市街劇「幻想市街劇 田園に死す」三沢篇を観て

寺山修司の殆どの代表作を彼の生前に観ることのできたのは幸運なことだったとつくづく実感できた三沢で過ごした8月6日だった。

寺山の生前に観ることのできなかった作品のうち市街劇を観ることができなかったことをとても残念に思っていた。普通の日常が行われている所に突然役者が劇を始めるだけでなく、その日常を送っている人まで劇の空間に引きずり込んだ当時の衝撃は想像できる。

現代においてはすでに幾つかの劇団で試みられているように、警察に届けを出し、交通の妨げにならないように、そして観客の安全を考慮して行われるもので寺山の試みたものとはかけ離れていた。今回の市街劇も予め寺山ロードなどと命名された道路を初め、設定された三沢のある区域のあちこちで演じられたものであり、何よりも地元の普通に生活している人がいるのかもしれないが目立たず、殆どが全国から駆けつけた寺山の巡礼者たちのように思えた。

早く会場についたので渡されたプログラムからどれをみようか思案していると若い大学生くらいの女性から話しかけられた。英語だった。聞くと中国人で日本語が少ししか読めないしあまりに盛りだくさんでどれを観たら良いか聞きたいという。

別の日本人が彼女たちに先に寺山修司記念館にバスで行ってから観るようにアドバイスしていたので彼女たちは観ることのできなかったオープニングが一番素晴らしかった。予め組まれたやぐらには手旗信号を送る少女が二人おり、その下の舞台で演じられるのかと思っていると巻かれた絨毯を道路に広げていきそれと共に観客は両脇に追いやられ、その絨毯の上で仮装した俳優達が台詞を言う。ストーリーは殆どなく、寺山の短歌や詩やエッセイの一節をつなげて朗読していくだけなのだが、音楽とともにそれが流されると感動がこみ上げてくる。

「亡き母の真っ赤な櫛を埋めにゆく 恐山には風吹くばかり」、「どんな鳥だって 想像力より高く飛ぶことは できないだろう」、「出会いは必然だが別れは偶然である」。短歌は言葉と言葉の結びつきの奇異さが強い力となるのだが、アフォリスムも見事だ。それらがJ.A.シーザーの日本的な情念を喚起する激しいロックとともに流されると強い情動がこみ上げてくる。どうして寺山はこんなにも美しく人の心に真っ直ぐ届く言葉を生み出せたのだろう?

あるホテルの一階で、シーザーのロックに合わせて歌う蜂谷眞美という女性には驚いた。清楚なクラシックの声楽家のような外観なのに、まるで天井桟敷の舞台で必ず歌っていたあの新高恵子そっくりの歌唱力で歌ったからだ。

前に九條京子さんから聞いた「寺山はとても寂しがり屋だった。もし寺山に一人でも兄弟がいたら寺山はいなかったであろう」という言葉が蘇る。もし誰の心にも性感帯にも似た、そこを押すとどうしようもなく感情がこみ上げてくる「心の孤独帯」とでも呼べるような孤独のツボというものがあるとしたなら、寺山はそのツボを押す言葉を知っていた。

それは誰でもが持っているがうまく名づけられず、心の奥底に潜んでいてある瞬間に不意に人を襲う。その欠落感、満たされない気持ち、せつなさを寺山は独特の言語感覚で音として人の心に響かせる。

何しろ日曜日ということもあるが普通に生活している三沢の人はいず、殆ど全てが観客なので市街劇の革命性はない筈なのだが、プログラムにはいろいろな工夫がなされていて、観客が衣装を借りるだけでなく、寺山の劇のようなメイクまでも施してもらいそのままの格好で街中を散策するためどれが俳優でどれが観客なのか分からなくなる場面もあった。

チケットを見せたときに渡されたチョークは、観客は誰でも、何でも道路に落書きするためであった。あるところで母親が見守る傍らでしっかりとした文字で書いている幼い男の子がいて思わず覗き込んだら、「人間」と書いてあり、その上にひらがなで「うらぎる」と読み仮名を書いていた。それを見て確か映画の「下妻物語」では「友達と書いてうらぎると読むんだぜ」という台詞だった筈だとつぶやいてしまったが、天使のように可愛い男の子によって書かれた残酷な真実、これも寺山の世界だと思った。

三沢から八戸に向かう列車の中で劇に出ていた俳優と同じメイクをしていた若者が数人居た。今悔やんでいるのは、なぜ彼らに聞かなかったのかということだ。天井桟敷の演出を引き継いでいる万有引力の役者の発声はどのように感じられるのか、天井桟敷の公演を観たことは筈の彼らにもどうして今の寺山は人気があるのかという質問をなぜできなかったのだろう?

渡された公演のパンフレットにはこう書かれていた。「わたしは、『答えより、質問になりたい』と寺山修司は言った!質問は世界を変える定規である。答えは停滞である。進化し続けるためにも、質問しつつけることが求められる。(2017年8月11日 番場 寛)

 

 

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死者は年をとらない―「日輪の翼」「アマハラ」を観て―

 秋になると観たい舞台が目白押しだが、最近気づいたことだが、目の前の舞台を確かに見ているのに想いは同時に別の舞台に飛んでいることがよくある。
 
9月2日に大阪の名村造船所大阪工場跡地の野外で観た、やなぎみわ演出の中上健次原作の『日輪の輪』を観ているときのことだ。様々な死者たちのことが浮かんだ。中上の小説の豊かな神話的世界を2時間あまりの飽きさせない舞台にした演出家と役者にまず賞賛を送るべきなのだろうが、さまざまな死者たちの記憶が去来した。
 
トレーラーの上にポールとたてたり、客席に近い両脇に太いポールをたらしたりして、劇の進行とは関わりなく水着姿の若い女性がポールダンスをするのを観ていてずっと昔、寺山修司の舞台では必ずといっていいほど劇の進行とは関係のない全身白や緑色にぬったヌードの女性が体をくねらせていた姿を思い浮かべていた。
 
派手な観客の度肝を抜くような舞台装置も寺山の舞台そっくりだと思った。時代が経ても変わらないのは寺山の書いた言葉の美しさなのだが、この『日輪の輪』の言葉も普通の会話ではなく、・・・鳥と・・・鳥のさえずりを空で縫い合わせる、などという中上の言葉が山崎なしのおかげで美しく舞台にはめ込まれていた。

寺山修司46歳は中上健次47歳で亡くなっているが今も多くの人に影響を残している。同じ野外劇だったからだけではない。今年69歳で亡くなられた松本雄吉さんの維新派の舞台を観る度に寺山の天井桟敷の舞台を同時に思い出していて物足りないところと、新たに加わったすばらしい点を感じていた。

『日輪の輪』を観ながら同時に他の二つの舞台を観ていた訳だ。そして10月17日に平城宮の跡地で、松本さんが最後に演出し完成したものを目にすることなくあの世に旅立たれた「アマハラ」を観た。
 
維新派の舞台は宿泊をしないで観ることができるものは殆ど観ているが、いつも感嘆する訳ではなかった。あのラップのように単調なリズムで集団で発せられるリズムと俳優達の動きは観ていて心地いいのだが、言葉本来が持つ深さ、物語的時間の奥行きを感じるには不十分なのではないかと感じるときも度々あった。もう維新派を観るのはいいかなと思う事もあった。
 
しかし今回はもうこれで観れないかもしれない、観れたとしても新作はないので無理して行った。足場が悪いので長靴を勧めるし、雨合羽の用意をするようにということで大和西大寺から20分も歩いてたどりついた舞台は、ギリシア神殿のような柱だけが建ち並び、遠くの山を背景にしたものだった。幸い雨は降らず、背景には背高泡立草だと思われる草花の群生がライトに照らされていた。夕焼けから次第に暗くなると星が多く見えた。
 今回は日本人のアジア進出の物語を前面に台詞でも語るもので改めて松本さんがめざしていたものが少し分かった気がした。同時に松本さん自身の思い出も次々と蘇ってきた。今年亡くなるアトリエ劇研で、若い演出家の作品を見に来ておられるときにお話したこと、松田正隆さんの絵画鑑賞型の「広島―ハプチョン」という作品のアフタートークの時「この作品はのちに最大のスキャンダルとされるか革新的な作品として評価されるであろう」という内容のことを語られたことなど次々と思い出された。
今回の「アマハラ」で驚いたのは物語性を強く打ち出していることだけでなく、ノースリーブの女性が柔らかなくねらせる曲線的な動きの踊りをしている場面が目立ったことだ。
 
白塗りし、帽子を被り、半ズボンを穿いた少年を少女や女性達が演じているのが維新派の定番だったから驚いた。大きな皮のスーツケース、石炭や重い荷物を運ぶ労働者、定番の衣装ももうこれで観られなくなるかもしれないと思うとより貴重に思えてくる。
 
今回気づいたのは「女性性の強調」以外には、ある人物の周りをもう一人の人物がわまるという振付が加わったことである(ひょっとして前からあったのかもしれないが)。なぜなら客席に向かって水平か垂直に向かう動きが維新派の舞台では多いからだ。
 
平城宮跡という長い時間の跡にまるで奇跡のように演じられた舞台を残した人。その人は69歳で止まりもう年をとることはない。今回の舞台でも繰り返されたが登場人物の少年の「オーイ」という呼び声は、死者たちへの、そして死者たちからの呼び声に聞こえた。
(2016年10月26日、番場 寛)

「踊る」とはどういうことか―田中泯「おどり」、baobab「靴屑の塔」、山下洋輔・勅使河原三郎「UP」―

 おとといようやく観ることができたドキュメンタリー「園子温という生きもの」(京都シネマ)の中で園は「時間がない!生きることを出しおしみするな。」と言っていた。
最近たまたま観た3つのダンス(踊り)はいずれもまったく異なっているようでいて「踊り」そのものへの根源を考えさせずにおかないすばらしい作品であった。くそれぞれの作品を観ながら同時にその前に観た作品のことを考えていた。

3作品の中でも特に驚かされたのは、9月29日に京都の町中の家の土間のようなところ(素夢子古茶屋)で田中泯が踊ったそれこそ「おどり」という作品だった。着古した泥のような着物の下に緋色の着物をまとい、胸をはだけて踊るさまは不思議な姿だった。ゆらゆらと体の軸は分かるが、自らの身体を意識的にどのように動かそうとしているのか、それを見ていて言葉にできないのだ。敢えて言えばどう動かそうとしているのか分からないという点で、日常の動きではなく意識的な表現になっているとしか言えない。

もちろん一個の裸電球を服の中に隠し踊ることや、途中で通りに面している戸をあけ放ち、京都の町中を歩くひとたちとの対比を見せるなど演出が入っていることは明らかだが、風がそよぎ、水が流れるのを、人は解釈できないように彼の踊りをどのように言語化できるのか分からなかった。

10月8日のBaobabというグループの5人によるダンス作品(言葉も入る)を京都芸術センターで観ている時に考えてしまったのは田中泯が踊った後でトークの時に語った言葉である。彼は「現代では多くの踊りのようなものに分かれてしまったが、踊りのねっこは一つだ」と言う。その踊りの根源とは何だろう?

Bobabの若いダンサーの踊りは観ていて爽快で、一つ一つの動きを言語化できるし、それぞれの動きをどのように組み合わせて時間の中で「物語」を創ろうとしているかが明確であった。床一面に散らばった靴を使うだけで動きの幅が広がり、物語化にも成功していた。

観ていて振付の困難と見事さを感じたのは、「人間の眼というのは何て勝手で傲慢なのだろう」ということだ。どんなに素晴らしい身体の動きでも、それがある時間繰り返されるのを見ていると飽きてくるのだ。そのため次々と違った動きをしなければならないのだ。

それを更に強く感じたのが、その翌日池袋の東京芸術劇場で観た山下洋輔のピアノに合わせて勅使河原三郎と佐藤梨穂子が踊るUpという作品だ。翌日ラカンの研究会を控えていたが、これをどうしても観たくて日帰りで観てきたのだ。

勅使河原、そして佐藤は、二人とも体の軸を中心に点対称の捩るような動き、正面を向き、手脚のどこかだけを意識的に動かし分節化する。運よく前から3列目の席だったので、隅々までよく見えた。腕や脚の先端までも意識的に動かすのを観ていると、本当に二人は身体の動きのボキャブラリーが豊富であると改めて思い知らされる。

しかしある時間観ているとその素晴らしい動きさえも飽きるのだ。だから次々と異なった動きに変えていかざるをえない。

そんな中で、観客の度肝を抜く演出があった。それは途中で佐藤が、王女のような緋色のスカートを履いて大きな馬にまたがって舞台に登場した場面だ。

馬は最初おとなしくたっていたが、やがて音楽に合わせてピアノのまわりを闊歩し始めたのだ。訓練されたとはいえある意味馬にそっては自然な動きなのだが、それが見事でそれまで必死で振付け踊られたダンスの見事さにも劣らず見事だと感じてしまった。

踊り終えた勅使河原の額に浮かぶ血管を見て改めてダンスの激しさ、厳しさを感じたのだが、同時に浮かんだのが、今も人里離れた山の中で農業をしながら踊っているという田中泯の言葉だった。

ぼくの考えはこうだ。踊りとは生まれながらに死を身体にはらんだ人間が、その死に抗って生き抜こうとする様をもがきながら意識的に身体で表そうとする行為ではないか。ひょっとしてそれが、あの素晴らしいBaobabのダンスを見ていたときに感じたほんのかすかな物足りなさだったのかもしれない。(2016年10月14日。番場 寛)

ゴジラより少女がいい―「シン・ゴジラ」「裸足の季節」「わたしの名は」を観て

 普段は巷でヒットしている映画は絶対観ないのだが、どうしても気になって庵野秀明総監督の「シン・ゴジラ」を観てしまった。なぜ観てしまったかというとある芸術家が絶対観ないぞと書いてある悪口に彼がいかにゴジラを好きかが現れていて観たくなったからだ。

最初は拍子抜けした。最初に現れたゴジラが縫いぐるみの蛇のようにリアルでなかったからだ。これがなぜヒットしたのか分からなかったが、時間が経つにつれて引き込まれていった。以下は予備知識なしに観たまったくのゴジラ素人の感想であり、ネタバレにも引っかかるかもしれないので注意して読んで欲しい。

この映画は自分にはあまりにも2011年3月に起きた福島の原発事故を想定して作られていると思った。海底の核廃棄物を食べてこのように巨大な化け物になってしまった生物という設定からだけそう思うのでなく、ゴジラが現れた時の政府の危機管理の対応の仕方は、ニュースでわれわれが知ることができた限りでの福島の原発事故への対応をなぞっておりそれを更に誇張しているように見えた。

今回の「ゴジラ」とは暴走し、人の生命と国家を脅かし、破壊する「原発事故」そのものだと思う。「シン・ゴジラ」のシンとは「新」というより「真」つまり本当の「ゴジラ」つまり「原発(事故)」の姿だと思った。

まだ観ていない人のためにこれくらいで止めておくが、人に勧めたいのは、フランス、トルコ、ドイツ映画のデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督「裸足の季節」だ。舞台はトルコで、親を亡くした5人の姉妹たちが厳格な伯父と伯母の家に預けられるのだが、宗教上の理由なのか、その家庭の特殊性なのか、本人達の意志は無視され、半ば牢屋に閉じ込められるような生活を余儀なくされている。

それをなんとか逃げだし、男の子と会ったりサッカーの試合に行くのだが、見つかってからは更に厳しい制限を受ける。一番年下の娘が、まったく気の進まない相手と結婚させられそうになった姉のひとりと脱走する話なのだが、それがゴジラなどとは比べられないくらいはらはらさせられるのだ。

5人の少女のしなやかな肢体、躍動感に酔いしれるが同時に彼女たちの強さ、たくましさにも感動する。

これを観ていて前に観たアニエス・べー監督の「私の名は」との共通点に気づき、驚いた。どちらも少女が自由を求めて脱走するのだが、その大きな原因に肉親や身近な男性の性的虐待があることだ。そしてどちらも彼女たちに性的欲望を抱かず、まるで友人のように接する年の離れた男性がいて彼女たちを助けることも共通している。

「シン・ゴジラ」が描いているのが現代日本社会そのものだとしたら、少女の2本の映画が描いているのは、性的欲望から自由になったときの「理想としての少女」なのだろうか?
                    (2016年9月3日。番場 寛)

パリに行かない夏

 2016年の夏はここ数年毎年のように行っていたパリに行かなかった。テロが怖かったせいではない。毎年参加している研究会が今年は早く終わり、9月になりパリがバカンスから動き始める時期まで滞在できないと思ったからだ。
 
それだけではない。久しぶりに机に向かって読書に専念したいとも思ったからだ。しかし予期しないことが起きてしまった。田舎の母が入院してしまい、妹と交代で病院に通わなければならなかった。幸い新潟の田舎はことのほか涼しくエアコンなしでもなんとかしのげた。
 
病院に行き帰ってくるまでの数時間を除いては、映画も演劇もダンスも観ることのできない禁欲的な時間を読書に当てることができる筈だった。しかしオリンピックがあった。中でも昔卓球をやっていたので、福原選手、水野選手のプレーには見ているだけでこちらの体まで反応した。ボールの回転の向き、ボールを打つコートの位置、相手との駆け引き、久しぶりに卓球の面白さを思い出した。
 
今は大学の仕事で京都に戻っているが、埼玉を回って帰るとき、彩の国さいたま芸術劇場でノイズムのダンス公演「愛と精霊の家」を観た。クラシックバレーの身体の動きをコンテンポラリー用にアレンジした振付に見えたが、コンパスを回すような身体の動きは、ただただ美しいとしか言えない作品で最初から最後まで面白いのにその60分は耐えがたいほど緊張して観ていた。
 
その後、ふとあるまったく拙いダンスを思い出した。それはたまたまもう20数年ぶりに一人で行った地元の祭りで観た子どもたちのダンスである。Exileの踊りを見ても何も感じないのに、Exileの曲に合わせて踊る田舎の子どもたちの拙いダンスが面白かった。          
 
神社はもとの位置にあったが周りに新興住宅が乱立しており、花火は殆ど上の開いたところしか見えなかった。夜店で昔好んで食べていた地元の業者のお饅頭を買って帰ってから食べたが、それなりに美味しかったが全く違った味に変わっていた。最初に作っていた業者が権利だけを他の業者に売ったからなのだそうだ。それでもそれを通して今は味わえない昔の味を懐かしんだ。
 
別の地区の親類の人からは、住民が年寄りだけになり祭りをすることが苦痛で止めたいという意見も出るが、みな「伝統を守ろう」という言葉で打ち消されてしまうのだと言う。またその2日前にも別の地区の祭りの屋台を見たが、少ない幼い子どもたちと小学生、中学生、中年の人たちで引く青年のいない屋台はどこか寂しげだったが、その屋台を見たら牛若丸と源平の人形の舞台が精巧に作られていてすっかり感心した。
 
ある日病院の近くを通りかかったら老人だけがトラクターで屋台を引いているお祭りに出くわした。そこは都会のど真ん中なのでそうなるのだと思ったが、そうまでして続けなくてはならない祭りの価値とは何だろうとも思ったが、たとえどんなに形が変わろうと現在もそこで住む人々にとって祭りは必要とされているのだろう。
 
飛行機で12時間も隔たった土地で過ごすことがマンネリ化することもあるのに比較的近くにある場所でもそれこそ大江健三郎の小説の題名ではないが「日常生活の冒険」のように違った視点で見ると発見があることを改めて思い知った。(2016年9月1日。番場 寛)

夏休み感満載の一連の劇作品 藤田貴弘と「マームとジプシー」を体験して

7月30日の午後6時30分頃だろうか、木屋町通りに面した会場となる元立誠小学校の入り口の階段に座っていた。「マームとジプシー」という劇団の作品のキャンセル待ちのためだった。

こんなにも緑が多かったんだと驚き、空を見上げると青空で雲が浮かんでいる。そこに蝉の声が上っていく。今自分がどこにいて何をしているかを一瞬忘れる。そうこんな感じ、これこそ夏休みだ。まだレポートの採点も、学科会議も残っているが、授業がないというだけですっかり夏休み気分だ。空を観ながら、他のみんなは何をしているんだろうと昔の夏休みのように思ったが、今の自分には「他のみんな」なんていないことに気づいた。

キャンセルが出てどうにか観ることができた藤田貴弘作・演出の「0.1.2.3」というこの日と二日後に観た3部作だけでなく、藤田の作品は「夏休み感」満載の演劇だと思った。

「0.1.2.3」では「赤ずきんちゃん」「シンデレラ」など童話のモチーフが台詞に散りばめられているが、台詞回しがまるで母親から童話をささやかれているような気にさせられる。

それだけではない。藤田の書いた台詞にはつねに「あの頃」「どこか」「いつか」「未来」「旅に出る」等、登場人物が今、ここで話していてもその内容は今でもなければここでもない時間や場所について語られ、それを聞いた観客は別の空間と時間に想いを馳せることになる。

実はこの一月は「マームとジプシー」というか藤田貴弘月間だった。7月8日の京都精華大学での彼の講演「言い足りなさを 」を皮切りにかれの7月10日の京都芸術センターでの演劇のワークショップに、若い人に混じって参加し、7月30日の京都造形芸術大学、春秋座での「AとSのあの夏。浮かび上がる記憶の町」を観てそしてこの「0,1,2,3」だった。

26歳で岸田戯曲賞を取り、現在31歳という若さでまるで時代の寵児とも言える彼の活躍ぶりの秘密を知りたかった。昨年東京芸術劇場で彼の演出した寺山の「書を捨て街へ出よう」を演出したのを観たときには、鉄パイプをやたら組み直しそこに上って台詞を言う演出も、俳優のわざと抑揚を抑えた台詞回しも良さが全く分からなかった。なぜ彼がこれほどもてはやされるのか分からなかった。

しかし今回彼の作品を通して観て分かった。心地よいのだ。講演会の時に聞いた話では丁度能楽師が3歳のころから親の修行を受けるように、かれは中学生の頃から母親の指示の下、高校もまるで演劇養成ギブスをはめられた子どものように演劇づけの生活だったのだ。

劇を観ていると、彼にとっては言葉は読むものというより耳で聞くものだということがよく分かる。若い女優から発せられるそれは、童話の朗読のように心地よく、ときどき難解な詩のような言葉が混じるが、同じ台詞が時間を置いて何度も反復されることで自然に聞いている者に感覚的に理解される。

たとえば「ずうっといつまでも友達でいようね」というありきたりの台詞も、時間を置いて反復されると観客の心にノスタルジーを喚起し、そんなことは不可能だという想いと相まって甘美な心地よさを揺りかごのようにもたらす。

一番面白かったのは、3の「カタチノチガウ」だった。これは「シンデレラ」を下敷きにした血の繋がらない3人姉妹の話だった。父親による性的虐待や彼に対する3女(?)の殺人などおどろおどろしい話もおとぎ話のように語られ、同時にひらひらとした白を基調としたまさに「少女性」全開の衣装と体操のような彼女たちの身体の絡み合いから、悲惨さ、現実性をはぎ取られ、全てが淡い夢の中の世界のように語られる。

「カタチノチガウ」ということは言い換えれば、トポロジー的には同じということで中身(本質)は同じということである。「0,1.2,3」というタイトルは登場人物の数を指しているが、人物はそれぞれ「カタチ」が違っていても、「物語」を観客の頭の中に喚起する記号のように機能する。

最後は8月5日の京都精華大学での俳優の一人、3人姉妹の姉を演じていた青柳いずみさんのパフォーマンスを観た。どの作品を観ても彼女の発声の見事さが際立っていたが、今回は一人だったので今まで以上に驚嘆した。細い体からどうしてあのような声が出るのだろう?

川上未映子の詩を表現として一人で発声するのだが、スピード、抑揚の変化、本当に一人でここまで表現できるのかと思うほど見事だった。

藤田貴弘さんと「マームとジプシー」がなぜこれほど今の時代においてもてはやされているかは十二分に分かった。確かにこの心地よさは認めざるを得ない。観客はお金を払って観るのだから、心地よさは重要だ。だがぼくはもっと違った演劇、違った表現も探している。(2016年8月6日。番場 寛)

豊穣なミニマリスムのチベット映画、ソンタルジャ監督「河」(2015年)を観て(大谷大学メディアホールにて)

 この映画は最初から最後までヤンチェン・ラモという名の少女の眼差し、表情に圧倒される映画だ。

この映画を観ていると、人は他人にどうやって心を伝え、他人の心をどうやって受け取ることができるのだろうかという最も根源的な問いに始めて出会ったかのようなきがする。

母親のお腹の中に赤ちゃんがおり、もうすぐ誕生すると告げられた少女、ヤンチェン・ラモはあまりに戸惑っており、自分の大切にしている熊のぬいぐるみを生まれてくる赤ちゃんにも貸してくれるかという母親の問いにもいやだと答える。

父親の問題は、宗教の偉い僧である彼の父親(少女にとっては祖父)に対する感情である。彼の父親は妻が亡くなる直前彼に会いたがっていることを息子から告げられても宗教上の解釈にもとづき会いに行かなかったからだ。

そのため少女の父親は病気だと聞き見舞いにいくように妻からお見舞いの食物を託されてもせっかく少女と家の近くに行っても自分でそれを渡すことができず、帰ってきてしまい、再度見舞いに行こうとしても、隠しておいた見舞いの品は腐らせてしまい結局渡さない。

ようやく彼の父親が入院したときに見舞うが、直接視線を合わせず、気持ちのわだかまりは最後まで消えない。

この映画では人間的な愛情の交流を妨げるものとして制度化された宗教をとらえているのだろうか。父親と祖父の間に横たわる二人の心の交流を妨げる象徴として「河」というタイトルがつけられたのではないかというのがこの映画上映会を企画し、この映画の字幕の監修も行っている三宅先生の解釈である。

では、撮影当時6歳だという少女ヤンチェン・ラモのすごさはどこにあるのだろう。映画の中で近所の男の子二人から父親の悪口を言われ、いじめられて泣く場面以外は、直接感情を声に出す場面はない。

殆ど表情を変えないようでいて眼差しだけで不満や喜びを雄弁に語る様は前に観た韓国・フランス映画ウニー・ルコント「冬の小鳥」(前にこのブログでも扱った)の少女を思い出させる。

少女が何も語らず手にし見つめる物、その姿を目にする観客の心に言葉が生まれ、表現となって伝わる。

それは映画の舞台となった広大なチベットの平原の光景が与える効果と似ている。この国際文化学科独自の最初の頁を開いたときに上に表示される幾つかの光景と同じだが、うっすらと緑が見えるもののほとんど荒涼とした広がりでそこを、失踪する父親のバイクを、ロングショットを多用したカメラで追う場面で、観客は改めてチベットという厳しい自然の中で生きる人々のことを思うと同時に、それが間近から住居での家族の生活が映し出されるショットへと変わるとき、荒涼とした自然の中だからこそ、余計なものがそぎ落とされ、まるで家族というもの、人と人が結びつき生活していく営みの最小単位が純化された姿として映し出されているように感じられる。

この映画の主要テーマを別の言葉で言い換えれば、「誕生と死」となるだろう。母羊が狼に殺され、家に迷い込んだ子羊に少女がミルクを与えて育てるが、それが家では飼えないと言われ少女の意思に逆らって羊の集団に入れるが、それも狼に殺されてしまう場面はこの映画の中では一番残酷な場面である。

その子羊が車に乗って出かける少女を追いかける姿は少女があくまでその子羊にミルクをあげようとする姿と呼応する。他者に何かを与え、してあげることで自分の中の何かが満たされるというより、そうせずにはおれない自己の内部の欠落感をこの映画では繰り返し見せている。

最後に祖父に会ったとき祖父から、今度くるときは赤ちゃんを見せてくれと言われ、たくさんの熊も連れてくると少女が言うとき、それは自分は見落としていたが、種を蒔きそれを土の中に埋めておくことで一杯に育つと聞いていた少女が大切にしている縫いぐるみの熊を土に埋めていたことが分かる(三浦先生の説明)。

この言葉からようやく少女が、赤ちゃんが生まれてくることを心から喜べることになったことを示している。

最後の場面で河を前にして座る少女の傍らの祖父と父親の距離の隔たりはそのまま未だに父と息子の心の隔たりが解消されていないことを示しているという、画家出身のソンタルジャ監督の映画の特徴が分かりやすい場面であるという三宅先生の説明には感心した。

父親がバイクで凍った河を渡ろうとして氷が割れて落ちてしまう場面が思い出される。人と人を隔てるもの(それはひょっとしてもっと大きなものをも暗示しているかもしれない)を渡るにはどうすればいいのだろうか。隔てられてはいても、人と人はその渡れない河を渡りたいと思うことでは通じることができるのではないかということを観客に訴えているのだろうか。そんなことをこの素晴らしい映画を観て考えた。(2016年7月14日、フランス革命記念日に。番場 寛)