寺山修司記念館20周年特別公演 幻想市街劇「幻想市街劇 田園に死す」三沢篇を観て

寺山修司の殆どの代表作を彼の生前に観ることのできたのは幸運なことだったとつくづく実感できた三沢で過ごした8月6日だった。

寺山の生前に観ることのできなかった作品のうち市街劇を観ることができなかったことをとても残念に思っていた。普通の日常が行われている所に突然役者が劇を始めるだけでなく、その日常を送っている人まで劇の空間に引きずり込んだ当時の衝撃は想像できる。

現代においてはすでに幾つかの劇団で試みられているように、警察に届けを出し、交通の妨げにならないように、そして観客の安全を考慮して行われるもので寺山の試みたものとはかけ離れていた。今回の市街劇も予め寺山ロードなどと命名された道路を初め、設定された三沢のある区域のあちこちで演じられたものであり、何よりも地元の普通に生活している人がいるのかもしれないが目立たず、殆どが全国から駆けつけた寺山の巡礼者たちのように思えた。

早く会場についたので渡されたプログラムからどれをみようか思案していると若い大学生くらいの女性から話しかけられた。英語だった。聞くと中国人で日本語が少ししか読めないしあまりに盛りだくさんでどれを観たら良いか聞きたいという。

別の日本人が彼女たちに先に寺山修司記念館にバスで行ってから観るようにアドバイスしていたので彼女たちは観ることのできなかったオープニングが一番素晴らしかった。予め組まれたやぐらには手旗信号を送る少女が二人おり、その下の舞台で演じられるのかと思っていると巻かれた絨毯を道路に広げていきそれと共に観客は両脇に追いやられ、その絨毯の上で仮装した俳優達が台詞を言う。ストーリーは殆どなく、寺山の短歌や詩やエッセイの一節をつなげて朗読していくだけなのだが、音楽とともにそれが流されると感動がこみ上げてくる。

「亡き母の真っ赤な櫛を埋めにゆく 恐山には風吹くばかり」、「どんな鳥だって 想像力より高く飛ぶことは できないだろう」、「出会いは必然だが別れは偶然である」。短歌は言葉と言葉の結びつきの奇異さが強い力となるのだが、アフォリスムも見事だ。それらがJ.A.シーザーの日本的な情念を喚起する激しいロックとともに流されると強い情動がこみ上げてくる。どうして寺山はこんなにも美しく人の心に真っ直ぐ届く言葉を生み出せたのだろう?

あるホテルの一階で、シーザーのロックに合わせて歌う蜂谷眞美という女性には驚いた。清楚なクラシックの声楽家のような外観なのに、まるで天井桟敷の舞台で必ず歌っていたあの新高恵子そっくりの歌唱力で歌ったからだ。

前に九條京子さんから聞いた「寺山はとても寂しがり屋だった。もし寺山に一人でも兄弟がいたら寺山はいなかったであろう」という言葉が蘇る。もし誰の心にも性感帯にも似た、そこを押すとどうしようもなく感情がこみ上げてくる「心の孤独帯」とでも呼べるような孤独のツボというものがあるとしたなら、寺山はそのツボを押す言葉を知っていた。

それは誰でもが持っているがうまく名づけられず、心の奥底に潜んでいてある瞬間に不意に人を襲う。その欠落感、満たされない気持ち、せつなさを寺山は独特の言語感覚で音として人の心に響かせる。

何しろ日曜日ということもあるが普通に生活している三沢の人はいず、殆ど全てが観客なので市街劇の革命性はない筈なのだが、プログラムにはいろいろな工夫がなされていて、観客が衣装を借りるだけでなく、寺山の劇のようなメイクまでも施してもらいそのままの格好で街中を散策するためどれが俳優でどれが観客なのか分からなくなる場面もあった。

チケットを見せたときに渡されたチョークは、観客は誰でも、何でも道路に落書きするためであった。あるところで母親が見守る傍らでしっかりとした文字で書いている幼い男の子がいて思わず覗き込んだら、「人間」と書いてあり、その上にひらがなで「うらぎる」と読み仮名を書いていた。それを見て確か映画の「下妻物語」では「友達と書いてうらぎると読むんだぜ」という台詞だった筈だとつぶやいてしまったが、天使のように可愛い男の子によって書かれた残酷な真実、これも寺山の世界だと思った。

三沢から八戸に向かう列車の中で劇に出ていた俳優と同じメイクをしていた若者が数人居た。今悔やんでいるのは、なぜ彼らに聞かなかったのかということだ。天井桟敷の演出を引き継いでいる万有引力の役者の発声はどのように感じられるのか、天井桟敷の公演を観たことは筈の彼らにもどうして今の寺山は人気があるのかという質問をなぜできなかったのだろう?

渡された公演のパンフレットにはこう書かれていた。「わたしは、『答えより、質問になりたい』と寺山修司は言った!質問は世界を変える定規である。答えは停滞である。進化し続けるためにも、質問しつつけることが求められる。(2017年8月11日 番場 寛)

 

 

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画柿

みなさん春休みをいかがお過ごしでしょうか?まとまった時間を使って、旅行に行ったり、何か新しい習い事なんかを初めてみるのもいいですね。でも、せっかく国際文化学科で学んでいるのですから、英語や中国語など、自分の専攻する国の言葉で書かれた作品を、原著で読んでみるというのはいかがでしょうか?

下に載せた詩は、アメリカの有名な自然詩人ゲーリー・スナイダー(1930-)の書いた「牧谿の柿Mu chi’i’s Persimmons」という詩を、私が日本語訳したものです。スナイダーは京都にも長く滞在した経験があり、相国寺や大徳寺で禅を学んだ人です。この詩は、曹洞宗の開祖である道元(1200-1253)が著した『正法眼蔵』に収められている、「画餅(がびょう)」のパロディーです。絵に描いた餅とは、実際には役に立たないことを表すことばですね。ですが道元はそれをひっくり返して、「絵に描いた餅でなければ、飢えを癒すことができない」と言います。これはどういうことでしょう。スナイダーの詩を読んで、その深みを味わってみてください。(2月27日:渡邊温子)

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牧谿〈六柿図〉京都大徳寺龍光院蔵(重要文化財)

 

牧谿の柿    ゲーリー・スナイダー

画餅にあらざれば充飢の薬なし  仁治三年壬寅十一月 道元

廊下の突き当たりの壁の上

横のガラス戸に照らされている掛軸は

牧谿の有名な「柿」の水墨画

軸棒に掛かった風鎮が動かないように安定させている

私にとって、柿の絵ならば世界一

空即是色の完璧な表現であり

市で売られるのと同様にまだ枝と茎が付いている

原画は京都の素晴らしい臨済宗の寺にあり

年に一度公開される

こちらは、便利堂の完璧な印刷で

表具屋の助言に従って表装した

私は秋ごとに掛けている

 

さて、マイクとバーバラの果樹園の

この熟しすぎた柿

手にナプキンを持ち

流しの上に屈み込んで

甘くオレンジ色のずくしを吸う

これが私の好きな食べ方

枝を持ったままで

 

あの画柿は

確かに飢えを癒す

 

〈原文はこちら↓〉

MU CH’I’S PERSIMMONS

躍動するラルン五明仏学院

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突然ですが、これが何の写真かわかりますか?ブロック?何かの模様?いえいえ、こちらは山の斜面に建てられた、膨大な数の僧坊です。

先日大谷大学を訪問された、ケンポ・ツルティム・ロドゥー師が副学長を務められる、ラルン五明仏学院では、チベット人及び漢族が生活しながら仏教の勉強に励んでいます。

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ケンポ・ジグメ・プンツォク(1933-2004)

ラルン五明仏学院は、ケンポ・ジグメ・プンツォクによって、1980年に開山されました。ラルン五明仏学院での履修科目は、顕教、密教、一般教養の3部で構成されています。顕教では、律、論理学、アビダルマ倶舎論、中観、唯識などが学ばれます。密教では、様々な前行、生起次第、究竟次第、ゾクチェンを主な科目とします。また、一般教養では言語学、医学、チベット語などが学ばれています。ケンポ・ジグメ・プンツォ師はカリスマ的な存在で、彼を慕って方々から集まった人たちが、自分たちが住んで勉強するための小屋を建てて、お寺は徐々に膨張していきました。

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お寺というか、すでに一つの街のようですね。1999年に「世界でもっとも影響力のある、チベット仏教を学ぶことのできる大きなセンターの1つ」として、ニューヨーク・タイムズ誌で紹介されました。海抜4000メートルと、標高が高く、物資や水にも恵まれない厳しい環境にも関わらず、多くの人々が仏教の教えを求めて集まっているんですね。私もいつか訪れてみたいです。

(1月25日:渡邊温子)

ケンポ・ツルティム・ロドゥ師

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現在チベット仏教を背負って立つ方の一人である、ケンポ・ツルティム・ロドゥ師が1月23日に大谷大学を訪問されました。師は、中国四川省、チベットの区分でいくとカム地方のセルタにあるラルン五明仏学院の副学長です。チベットや中国はもちろんのこと、アメリカやヨーロッパ、マレーシアや香港、台湾など多くの国を飛び回って講演をされています。今回は初来日ということで、関東の東京大学や大正大学で講演会を行われてから、関西に来られました。

大谷大学では、仏教学科のローズ先生の学生さんたちや国際文化学科の学生さんたちと交流されました。ケンポが仏教をわかりやすく説明されていましたので、以下講演の和訳を載せたいと思います。

「仏教は智慧慈悲にまとめられます。上座部や大乗仏教など、仏教にもたくさん種類がありますが、まとめるならばこの2つに集約されます。

実践の面からは、戒・定・慧の三学に分けられます。

1番目は戒律です。生き物を害さないことが戒律の根本です。区分すれば、生き物の身体を害さないことや、心を害さないことなど、いろいろな種類があります。戒律は出家者だけのものではありません。在家者の戒律と出家者の戒律とがあります。出家者であろうとなかろうと、仏教徒である以上は他の生き物を害してはいけません。

2番目は禅定です。これは瞑想のことです。瞑想をしなければ、心にある煩悩を断じることはできません。今の我々の心は、例えるならば泥水のようなものです。土や石がまじった泥水でも、そのまま置いておけば徐々に清まっていきますね。それと同様に私たちの心も瞑想することで、徐々に清まっていきます。そのための方便が禅定や瞑想なのです。我々の身体については、チベット医学や中国医学で、昔から分析されよく理解されています。新しい世紀になって西洋医学も入ってきて、身体について更に研究が進んでいます。しかし、心についてはわかっていません。心をどのように発展させればいいか知りえませんでした。それを知らない理由は、社会の中に多くの問題があるからです。それを解決する方法が瞑想です。仏教ほどよい瞑想は世界中で他にありません。

3番目は智慧です。智慧とは、ありようをはっきりと理解することです。新しい世紀になり、色々な物質について理解が深まりました。しかし、生命の神秘についてはわかりませんでした。心の神秘についてもわかっていません。生命の神秘、心の神秘を理解できるのが智慧です。

そのように仏教の実践は戒律、禅定、智慧の3つに集約されます。

勉強に関しては、3つの言葉があります。

1つ目は聞(もん)です。まずは、仏教を勉強して聞くことが必要です。日本では仏教の大学はたくさんあると思います。それは正法を聞く最高の条件です。しかし、先生がよく学習し、特に実践しなければ、仏教を伝えることは難しいでしょう。学生であっても、卒業した後、他の場に移って実習する必要があります。そのように先生たちも実践する必要があります。先生が教え、生徒が聞くというのが第一です。

2つ目は思(し)です。思とは、仏教について色々考えて色々な方法をとることです。他の宗教では、「考えずにとにかく信仰するように」と説かれます。仏教では、「何も知らないのに信仰してはいけない。色々考えて、分析した後に信仰せよ」と説かれます。何度も何度も考えることが重要です。食事の場合でも、「自分の栄養になるのか」「利益があるのか」「病気になるのか」などと考えます。宗教も勉強して心のなかに宗教の見解をおけば、将来利益があるのか、害があるのかと色々考える必要があります。

3つ目は修(しゅう)です。修とは実践のことです。大学であれ、寺院の中であれたくさんのことを学習します。説こうと思えばいくらでも説くことができます。しかし、実践しなければ、生活の中で生かすことができません。心の中の苦しみもどんどん増えていきます。世界中で将来問題が増えていくでしょう。世界中が問題で溢れ、個々人の生活も問題で溢れていきます。生活の中で問題があるのは、心の中に不快なことがたくさんあるからです。問題をなくし、心の中の不快なことをなくすためには、今までいい方法が得られていませんでした。しかし、瞑想が心に利益があるということは、西洋の人たちも気づいています。ですから、西洋の中でも瞑想をする人が増えてきています。しかし彼らが行なっている瞑想とは、簡単なものであり、深いものではありません。一時的な利益はありますが、恒常的に苦しみを取り除くものではありません。

我々は瞑想することによって、心を益することができます。瞑想とは、ラマや僧侶たちだけのものではありません。全ての人が瞑想をすべきです。例えば、我々は運動しなければ病気になってしまいます。心も訓練しなければ、心が病気になってしまいます。心の平安とは僧侶だけでなく、全ての人に必要です。ですので、瞑想はとても大切です。

以上、8つの言葉から説明しました。

仏教は慈悲智慧の2つにわけられます。また実践の点から戒・定・慧の3つに分けられます。そして、学習の点から聞・思・修の3つに分けられます。その8つ以外にはありません」

(文責:渡邊温子)

 

栄養をとってインフルエンザ予防!

巷ではインフルエンザが大流行ですね。来週からテスト期間も始まりますので、みんなさん体調管理には十分気をつけましょう。

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チベット語bのクラスでは、授業の打ち上げを兼ねて、学食の「昔話カレー」を食べてきました。チベットと、あまり関係ありませんが(笑)。昔話に出てくる山のようにこんもりと盛られたご飯に、カレールーがなみなみとかけてあります。スプーンも超特大!5人で2皿を完食して、みんなお腹いっぱいになりました。

学食では定期試験応援フェアとして1月20日から31日まで、100円で朝定食が食べれます。和食と洋食が選べる上に、ご飯、味噌汁、スープはおかわり自由!みなさん、ぜひ活用してください。栄養をとって、テストを乗り切りましょう!

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(1月20日:渡邊温子)

あけましておめでとうございます

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みなさん、お正月は実家でゆっくりできましたか?美味しいご飯を食べ過ぎて、胃の調子がおかしくなったりしてませんか?1月7日は人日の節句でした。この日は七草がゆをいただいて、一年の無病息災を祈るとともに、お正月にごちそうを食べて弱った胃をいたわります。

ちなみに、チベットにはお米ではなくツァンパ(大麦の粉)で作ったお粥のような食べ物があります。地域によって名前も作り方も違いますが、私が夏に調査に行った、インド北部に位置するチベット文化圏のザンスカールでは、「トゥキャン」と呼んでいました。まず、ヤクの干し肉、乾燥チーズを圧力鍋にかけてやわらかく煮ます。そこに塩とバターを入れ、だまにならないようにツァンパを少しずつ加えてかき混ぜて出来上がりです。

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こちらも胃に良さそう。私もよく朝ごはんで食べていました。

4回生の皆さんは卒論提出で忙しい時期ですね。体調管理をしっかりして、がんばってください!(1月10日:渡邊温子)

秋の史跡踏査

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国際文化学科主催ではありませんが、史跡踏査のお知らせです。

仏教学会主催で、史跡踏査が行われます。滋賀県の石山寺で、33年に一度しかご開帳されない秘仏の如意輪観世音菩薩を拝観してみませんか?琵琶湖名物のしじみ飯が食べれるかも!?国際文化の学生さんも参加大募集中です!

日時:11月28日(月)

行き先:滋賀県・石山寺

参加費は500円で、拝観料と昼食代は込みです。ただし、現地までの交通費は自己負担となります。参加の申し込み、問い合わせは、総合研究室にいる仏教学科助教の稲葉・宮崎までお願いします。(11月17日:渡邊温子)