カテゴリー別アーカイブ: 雑感

高橋源一郎著『13日間で「名文」を書けるようになる方法』(朝日新聞出版)を読んで

2009年9月に発売された直後に購入してそのまま本棚に飾っておいたものを先日初めて開いたのは、偶然ツイッターで見つけたスーザン・ソンタグの遺書とも言える文章が高橋による表記の著書に引用されていることを知ったからだ。

読み始めて自分はなんて愚かだったのだろう、なぜ数頁でもこの本を読んでおかなかったのだろうと悔やんだ。買ったもののすぐ読もうとしなかった理由は明らかだ。「・・・時間で英語が話せる」「わずか・・・日間でお金持ちになる」「・・・日間でやせる」・・・等、それが嘘だと疑いながらも、信じられないくらいの短時間で様々な欲望を実現してくれるという言葉で人を惹きつける、本屋に数多く並べられている本と同じ狙いのタイトルだと思ったからだ。

言葉はそれを使う人間の生きた経験の積み重ねの表れるものであり、そんなに短期間でうまくなる筈はないと思いながらも、それでも自分の知らない上達の方法があるのではないかと思ってしまうのは自然であろう。

驚いた。これは高橋が自身の13回の大学の授業で学生たちに説明し、学生たちが書いたことの生き生きとした記録である。

映画には普通の演出した物語の作品があるとともに、現実を忠実に写し取り、編集した上で再現したドキュメンタリーがあるが、これは「文章を書くことについての授業のドキュメンタリー」とも言える。

優れたドキュメンタリー映画がそうであるようにこの授業の記録は実際に教室で語られ、学生たちによって書かれた文章である筈なのに、いつの間にか優れた文学作品を読んでいるかのように感動していた。

たとえば7回目の授業では、「日本国憲法前文」とフランツ・カフカの『変身』を読んで感想を述べることが課題として出され、それについて学生の感想が発表された後、高橋から今度は架空の国の「憲法」の序文を創作するよう課題が出され、次回の授業はその発表となる。

5回目の授業での「ラヴレターを書く」という課題には驚かないとしてもこれには驚かされる。「憲法」というものが「公的」な文章であり、『変身』は個人的な体験の極度のものなのに、その共通点を探せと指示された学生たちの戸惑いがとてもリアルであり、その体験をさせた上での高橋のコメントが見事である。

高橋は文章を「うまく」かけるようになるためには、文章の構造を「読む」ことができることが必要であり、そのためには文章を自分で「書く」必要があるという両方の行為の補完性を説明した上で、『変身』についての独自の「読み」を展開する。

彼によれば『変身』の虫になってしまったグレゴール・ザムザの物語は、「自分以外のなにかになってしまった人間の物語」であり、「グレゴールが『虫』になったことを受け入れた時、世界中の誰からも理解されなくてもかまわないと思えた時、グレゴールの中で、悲劇は反転したのです。グレゴールは世界の無理解と引き替えに、世界を理解することができたのです」と説明する。

ここに来て授業の冒頭でなぜスーザン・ソンタグの遺書とも言える文章を引用したのかが明らかにされる。それは「自分以外の誰かになってみる」というやり方がなぜ必要なのかという理由になるからだ。高橋の言い換えるソンタグの意見によれば、「人間というものは、放っておくと、自分のことしか考えない、あるいは、考えられないから」であり「狭い世界に閉じ込められたままになってしまう」からである。

それは現在も続いているヘイトスピーチや性的マイノリティーの人たちに対する差別やもっと広い普通の社会にも見られる女性への差別などにも言い及ぶ。

マイノリティーの立場に置かれた人たちのことを高橋は「左きき」の人たちにたとえ、「書く」ことに必要である以上に生きていく上で必要なこととして、「右きき」に例えられる側のものも「左きき」の他人になって書くこと、言い換えれば想像力を働かせることが必要だと説く。

それをさらに推し進めた「靖国神社に集う英霊たちにことばをしゃべらせてみること」という課題に答えた学生たちの書いた創作とそれに対する高橋のコメントも見事である。

普通は不可能に近いことだが時に必要になるのは、想像力を働かせて「死者の横にたとうとすること」であると説明する。

恐らくこの本の読者にとって一番ストレートに感動する授業をあげるとすれば、高橋は私的な事情で休講せざるを得なかった回の次の授業であろう。

高橋が休講したのは、2歳9カ月の息子が急病で救急車で運ばれ、入院したからだ。2度目の入院の時、息子は意識を失い生死をさ迷う。彼の言葉に反応せず、「向こう側」に行ってしまったかのように見えた息子が集中治療室を出た後、言葉を失っていることを発見する。大脳は保たれたものの小脳が傷ついたため言葉を発することができなかったのだ。

どうしてよいかわからないまま息子をこちら側の世界に連れ戻すために高橋がしたことは息子が好きだった絵本を彼の枕元で朗読することだった。気持を込めた必死の絵本の朗読のおかげで、手足を動かせず、言葉も発せられないままの息子に笑顔がもれる瞬間の語らいを教室で聞いている学生たちの姿が目に浮かぶようだ。

これくらい「ことば」の力を思い知らされる描写はまれであろう。高橋によれば「ことば」はそれにより遠くに人を運ぶ力があるものなのだ。高橋が学生たちの書いたものを一字一句直さないで授業で全員に披露するのも上に述べた教えを最大限に伝えるためだと思われる。

高橋のこの著作は最近文庫本になったこともあり、自分の学生たちや知人にも薦めている。これを読んでいるあなたも読んでほしい。これは教室を舞台にした「ドキュメンタリー小説」であり「言葉についての思考実験」の書でもあるのだ。

この大谷大学でも「文藝塾」というものが設置されたが、それが、高橋の教室のような、「表現する喜びとその可能性」を全面的に学べるものになってもらうことを願わずにおれない。(2015年4月9日。番場 寛)

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「OO妻」(日本テレビ、水曜)は「鶴の恩返し」なのだろうか―第一回のみを観て妄想が膨らむ―

NHKの朝ドラマは「マッサン」は俳優は良いのにもう展開が見えてしまって、見続けることができない。 国産ウイスキー第一号が完成するまで失敗し続けるのを毎朝見ることになるからだ。他にも自分にとって面白いドラマはないと思っていた。

そんなとき、フランス人との交流会から帰って偶然つけたテレビのドラマに惹きつけられた。30分くらいしか観ることはできなかったが、最近自分の経験したことと相まってたちまち感情移入してしまった。

正義感にあふれたニュースキャスターの主人公、久保田正純(正しく純粋であるという、そのままの名前だ)の妻ひかり(これも前作の「家政婦のミタ」の名前、「あかり」を引き継いでいる)はこの世に存在しないほどの理想の妻だが、二人は結婚してはいず、3年ごとの契約を結んだ上で一緒に生活している。

つねに夫を助けるだけでなく、正純の父親が入院してしまったことで軽い認知症のようになった母親の面倒をみるのを兄妹間でおしつけ会っているのを見た、ひかりは、土下座してその母親の面倒を見たいと頼むほどの優しさも持っている。

「言葉によって現実を変えられるし、そうすべきだ」と素朴に信じている夫、正純を、殆ど従順だが、自分の強い意志をもって支えている。第一回では正純が自分の番組に出演を頼んでも拒絶していた作家を、粘り強く追跡することで彼の弱みとなる写真を撮ることで、彼を脅し、番組に出させることに成功するが、正純が正式に結婚し、子供を持ちたいと申し出ると3年前の契約書を守るよう頼むばかりだ。

「なぜ子どもを産むことができないのだ」と夫が迫った時、いつも穏やかで微笑みを浮かべていたひかりの口元がわずかに動き、その理由を述べようとするがそれはできないと自分を抑える場面に胸を打たれた。夫を愛していることは間違いないのだが、あまりにも多くの語ってはいけないことがあることを、無言の微笑みだけで表現するひかり役の芝崎コウの演技というか演出は本当にすばらしい。このドラマはニュースキャスターを主人公に据えたことでも分かるように、「言葉にできること」と「言葉で表しえないこと」との対立で成り立つドラマだと思う。

では、なぜ子どもを産むことを拒否しているのだろうかと考えたとき、ふと頭に浮かんだのはまったくの妄想だが、ひかりは「鶴の恩返し」の鶴ではないだろうかということだ。

いくつも異なった筋書きのあるこの昔話のあるものは、鶴は助けてもらった男と結婚し、毎晩機を織るがその姿を決して見てはいけないと夫に言う。しかし童話や昔話の定石通り、「禁止」は破られ、「罰」として鶴は夫のもとから飛び立っていく。鶴は自分の体の一部である羽をむしりとりそれで機を織っていたのだった。

ひょっとして、ひかりは正純にかつて助けられた動物か、飼われていたペットの分身なのではないか? そう思うと、正純が会社で新しくアシスタントとして紹介された風谷愛という若い女性が、「覚えていらっしゃらないでしょうが、前にお会いしたことがあります」というのも、別の動物かペットの生まれ変わりかと思いたくなってしまう。

契約という結びつき耐えられなくなり、激怒した夫のもとをひかりが去るところで今回は終わっているが何にぼくは感動したのだろう?

それは愛する相手が求めていることを語ることができず、自分の胸に秘めておかなくてはいけない苦しさだ。ちょうどこの番組を見た日、フランス人に、11日にパリで行われたレピュブリック広場での二百万人も大行進に対する見方についてある日本人の指摘を伝えようとするのだが、うまく表現できないもどかしさ、悔しさを感じた日にこのドラマを観たせいかもしれない。 それはひかりのように何かを禁じられていたのではなく、単にぼくのフランス語の力の不十分さによるものだったが、想いを伝えられない辛さという点では共通しているだろう。

ところで今年提出されたぼくのゼミのクラスの卒業論文の中に「フランスと日本の結婚から見た結婚の本質」というものがある、これは、正式な「結婚」以外にも、同棲や事実婚やパクス(民事連帯契約)などさまざまなカップルの形態があり、昨年同性同士の結婚も認められたフランスと日本の結婚を比較し、結婚の本質に迫ろうとするものだ。

これほど多様な形態があり、制度的、経済的にも正式な結婚と殆ど同じ保障が受けられるフランスにおいてなぜ結婚がなくならないと思うのかという僕の質問に対する彼女の答えはとてもシンプルなもので、「なぜなら結婚はあらゆる結びつきの中で最も強い結びつきだからです」というものだった。

「OO妻」もパクスも「契約」で結ばれているという点で弱い結びつきだとしたなら、「結婚」という結びつきの強さにすがるカップルの結びつきもひょっとしてそれほど強いものではないのかもしれないと思ってしまう。

このドラマが「鶴の恩返し」と同じように進行するかどうかは別にして久しぶりに面白いドラマが始まったことを喜びたい。(2015年1月15日。番場 寛)

安部公房によって描かれた寺山修司の「恐山」―『カンガルー・ノート』を読んで―

(以下の原稿はブログとして書かれたものです。『もぐら通信』という優れた電子配信の安部公房についての専門雑誌から原稿を依頼していただいたものの、それにふさわしい形式で書く余裕がないため、これがそのまま雑誌に載るかもしれないとをお断りしておきます。)

「第61回日本病跡学会総会」での研究発表が終わった。ここ一月ほどはその発表、「安部公房の夢の論理(2)-フロイトの「夢の臍」と比較して―」のために安部公房の遺作『カンガルー・ノート』に出てくる謎の呪文のような言葉「ハナコンダ アラゴンダ アナゲンタ /  唐辛子ノ油ヲ塗ッテ バナナの皮デクルミマス」という言葉の意味を巡って調べたり、他の人に尋ねたり、そしてその意味を自分なりに考えて文章にすることに追われた。

ようやく発表原稿を書き上げたと思ったら2000字ほど削らなくて、それに書き上げた時間と同じくらいかかってしまった。扱った『カンガルー・ノート』を読んでいて研究発表では触れられなかったことで一つ本当に驚いたことがある。

それは、この小説のかなりの部分、とくに「賽の河原にあつまりて 父上恋し 母恋し」という歌が出てくる、「火炎河原」と題された章がまるで寺山修司の映画『田園に死す』の舞台となっている青森の恐山を彷彿させることだ。それだけではない、『カンガルー・ノート』で、脚の脛に「かいわれ大根」が生えてしまった主人公が括りつけられている病院のベッドはまるで生き物のようにレールの上を自走するのだが、それも『田園に死す』のレールの上のトロッコを連想させる。

確か昨年は寺山没後30年で、安部没後20年だったと思うが、世界的に評価されており、共に前衛という呼び名にふさわしい作家でありながら、ぼくの知っている限り、二人は生前交流も、対談もなく、お互いの作品に触れた文章も知らないほど二人はまるで別世界に生きていたかのようだ。
大学に入る少し前から二人とも好きと言うより、夢中になった作家だった。寺山の世間を騒がせた街頭劇や、実際の劇でもあまりにもおどろおどろしく、ときに客を驚かそうとコンニャクが客席に飛んでくる演出に、見ていて面白かったがどこまで芸術作品として優れているのかには少し懐疑的であった。

生前実際に二人は触れあわなかったとしても、接点はあった。それを寺山が日本に呼ぶきっかけをつくったと聞いているタディウス・カントールの劇については安部も触れている。寺山も安部もともにガルシア・マルケスを高く評価していた。寺山は彼の『百年の孤独』を最初演劇にし、のちに映画化(『さらば箱舟』)したがマルケス自身が自作との隔たりの大きさからクレームをつけたので、題名変更を余儀なくされたと言われている。

ともに前衛的で、安部は俳句や短歌は書かなかったが詩人として出発した。寺山は、小説は『ああ、荒野』一作だけだが、二人は共に晩年には世界でも高く評価される前衛芸術の作家であり演出家であった。
ただぼくを含めて世間一般には、安部と寺山はまったく傾向の異なった相容れないテーマを描いた作家として認識されていたようだ。相違点が大きすぎた。
安部は「故郷」やそれを拡大した「国家」を否定し、それにまつわる血縁関係に付随する愛情などを冷静な乾いた眼差しで見つめた。いわゆる「都市」の作家だ。

一方、寺山は「母親的なもの」「死んだ父親」に象徴される「故郷」「血縁」といったものに徹底的にこだわり、そこから自由になろうとする自分を追求した。

寺山の作品で自分にとって一番衝撃的なのは映画『田園に死す』の最後のシーンである。
主人公は、映画の中でなら母親を殺せるのではないかと思い、鎌を後ろに隠し持って映画の中の母親に会いに行く。すると母親はまったくかつてと同じように、どうしたのだ。はやく上がるようにと家の中に促し、食事を用意する。

もう殺意は失せ、ふたり黙ってちゃぶ台につき一緒に食事を続けるとき主人公の独白が流れる。「映画の中でさえ母を殺せない自分とは一体何者なのだろう」と。そのとき画面は突然劇の舞台のように部屋のついたてが3方向に倒れ、二人が座って食事をしている場所は、現代の新宿駅前の風景になる。そして最後に「本籍東京都新宿区字恐山」と語られる。

この映画のもっとも衝撃を受けるシーンであり、個人的はこの映画は全て分かったと思った。つまり成人し、どんなに都会の真ん中で生活していても心は母親に代表される「故郷」「血縁」「共同体」に支配されている自己というものを追求した作品なのだ。

他方の安部に惹かれたのは、そういった「血縁」「共同体」、その果てにある「国家」というものへの執着から完全に切り離されているというより、それらと徹底的に戦おうとしていた潔さのせいだった。

かれが処女作『終わりし道の標に』で、「何度でも故郷の友を殺し続けるために」と書いたのは、勿論現実の友を殺すという意味ではなく、そうした「共同体」を否定する意志の現れだと思う。

ところが、この遺作『カンガルー・ノート』には自走するベッドを初め、賽の河原で石を積む子の場面やおどろおどろしい場面が続き、まるで寺山の『田園に死す』の恐山の場面に感化されたかのような描写が続くのである。

また記憶によれば、安部の小説には殆ど出てこない「母親」がこの小説では三味線を持った目を亡くした皺だらけの不気味な老女として出てきて「親不孝者めが」と主人公をなじる。それだけに寺山の描く、子に執着しその「愛情」で子を縛る「母親」との違いの大きさが際立っている。

「父親」はもっとひどい。寺山の映画では「写真」に写った今は亡き人としての「父親」は、安部のこの小説では「父そっくりの眼鏡をかけたスプリンクラー、スプリンクラーに刻まれた父の肖像」とデフォルメされている。
実生活がどうであったかではなく、創作において安部は完全にこうした「血縁的なもの」と切り離されている。
今回『カンガルー・ノート』を繰り返し読んで思ったのは、安部と寺山は実生活において触れあわなかったとしても、その描いたテーマはそれほど隔たっていたのかという疑問だ。

寺山も マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや と歌った。劇の『レミング』は、あらゆる部屋から壁が消えていくという話だったが、それを拡大すれば「国家」の否定ともつながる。満州で幼い頃育った安部公房がやがて「クレオ―ル」という「国語」に対立する国境を越える言語に注目したのもひょっとしてそれほど「故郷的なもの」を否定したいほどそれに捕らわれていたのでは、と考えれば、寺山と安部はひょっとして表と裏のような関係で、無視に近いほどお互いに無関心という形で、似たテーマを追求していたのかもしれないと今は思う。(2014年7月14日フランス革命記念日。番場 寛)

2014年3月18日 国際文化学科卒業証書授与式挨拶の言葉

みなさんご卒業おめでとうございます。何度となく耳にされたかもしれません。そんなことあたりまえじゃないか、とおっしゃるかもしれません。いえ、これは当たり前のことではないのです。3年前の3月11日に起きた東日本大震災のせいで、この大谷大学では卒業式は行われましたが、「おめでとうございます」とは言えませんと学長が述べられ、卒業祝賀会も行われませんでした。

みなさんは、授業を受け、レポートを書き、テストを受け、論文を書き、それらを成し遂げたことで、今日この場におられるのです。けっして当たり前のことではないのです。

昨年ぼくは藤田先生と一緒に学生12名を連れてフランス文化研修に行きました。研修後、学生にレポートを書いてもらいましたが、感銘を受けたものの中に、ふたり殆ど同じ結論で終えていた学生がいて驚きました。それは「あたりまえのことがあたりまえではないことがわかった」「普通というものが普通でないことがわかった」というものでした。

そのうちの二人とも日本にいるときには気づくことのできなかった当たり前のこと、普通のことがそうではなかったことにいくつも気づき、衝撃を受けていたのです。

今日、この卒業式を迎えることができたことは決して当たり前でも、普通のことでもないのです。皆さんは社会に出れば、今の皆さんの考えや価値観の通用しない世界に直面することがあるかもしれません。そのときはこの学科で学んだ異文化を理解する精神でのり切って下さい。異文化を理解するというのは、人間と人間はなかなか分かり合えないのだという前提のもとに相手を理解し、相手に理解してもらおうと努力することです。

ところで授業でも言ったことですが、田口ランディという作家がある小説の中で「世の中は何で出来ている」と問いかけています。みなさん、世の中は何で出来ているのでしょうか? 決してお金ではありません。彼女の答えは、「世の中は記憶でできている」というものです。さまざまな過去の出来事と同じように東日本大震災という記憶から私たちは何かを学び、そして世の中を造っていくのです。

では、みなさん一人一人は何でできているのでしょう? それも記憶だ、と言えます。

皆さんは過去二十数年間で蓄積した記憶、そこには無意識となったものもあるかもしれません。その意識的あるいは無意識となった記憶で成り立っているのです。中にはトラウマのような否定的な記憶を持っている人もいるかもしれません。過去に起きたことに基づいている記憶だとしたら変えようがないじゃないかという人もおられるかもしれません。

違うのです。過去の記憶を現在や未来が書き換えることもあるのです。もし否定的な記憶があったとしても、みなさんが世の中に出て素晴らしい人生、楽しい人生を送ることができたとしたら、きっと皆さんは思うことでしょう。いまの自分があるのは大谷大学の国際文化学科で学んだからだと。そういう意味においてこれからの大谷大学の価値を決めるのは皆さん次第です。

そういった意味で、けっして当たり前ではない、普通のことではない言葉としてもう一度言わせて下さい。「ご卒業おめでとうございます」(番場 寛)

「教えること」が「愛」である筈はないのに

今は試験の採点の真っ最中なのだが、精神状態はあまりよくない。あんなに繰り返して教えたのにどうしてできていないのだ、などと思うことも多い。腹が立つのは、自分の力を思い知らされるからだ。つまり学生の答案の出来具合は、そのまま自分の教える力を表しており、採点しているのはその成果であるからだ。

中でも一番思い入れの強かったのは、一年生のフランス語のクラスである。週二回顔を合わせるということもあるが、そのせいだけではない。教室に入ったときから何か言葉にできない親しみのような感情がこちらに伝わってくるのだ。それでいて日本語で説明することが伝わっていないという気がしていらだっていた。

何かを伝えたいのにうまく日本語がつたわってない、それでも何かを伝えたいということで、何を思ったか最後の授業で、今一番学生たちに伝えたい、大好きな岡林信康の「わたしたちの望むものは」(アルバム「見る前に跳べ」に入っているがYouTubeでも聞けます)を流してしまった。学生たちはどう思ったかまるで分からない。

「好意」とは言えないまでも、伝わってくる何か温かな親しみの感情を受けとめながらも、教えるべきことを理解させられないもどかしさ、悔しさを感じていた。その結果は今回の試験の結果にもはっきりと出ている。

そのクラスだけではないが、特にそのクラスは教壇に立つ度に不思議な気持ちに襲われた。どうしてぼくはこの学生たちと出会い、この場に一緒にいるのだろうと何度も思った。それはぼくがこの大学で働くことができ、学生たちがこの大学に入ったただそれだけのことで、たまたま二つの偶然が重なっただけのことなのに、それが不思議でならなかった。

ふと浮かんだのが、ずっと昔、書かれていた箇所は忘れてしまったが、立川健二さんが、ソシュールの概念であるシニフィアンとシニフィエの「恣意性」という概念を説明するときに、「恋愛」か「結婚」という二人の関係をアナロジーとして使っていたことだ。

ジーニュsigne(言語記号)のシニフィアンsignifiant(意味するもの、((音声や文字がその役割を果たす)))とシニフィエsignifié(意味されるもの、概念)とは何ら必然的な結びつきの理由を見いだせず、まったく偶然に結びついているだけの関係である。それなのに現実にはぴったりと結びつき、あたかも必然的な結びつきのように機能している。

世の中の多くの人と人との出会いは偶然であり、なんら必然性のあるものではない。自分の意思で選んだつもりの「結婚」であれ、「恋愛」であれ、まず出会ったのはシニフィアンとシニフィエのような「恣意性」のもとに出会っているにすぎない。

ところで、先日卒論の口述試験が終わったとき、ある学生からある言葉を投げかけられ嬉しさを隠すのに苦労した。主査の先生も同じ気持ちだったろう。それはその学生が昨年受講していた授業がとても面白かったと感謝の気持ちを述べた。ただそれだけのことであった。

その授業はたしかに「物語論」から入り、絵画の精神分析、そしてフロイトの「狼男」の話、そして今年も見せたフランソワ・オゾンの『ホーム・ドラマ』という、うまく説明しないと非難されそうな危ない映画で終わった授業だった。絵画の好きな彼女が興味を抱いていたというのは理解できる。

彼女に申し訳ないと思ったのは、彼女が受講していたことをその発言があるまですっかり忘れていたことだ。

情けないと自分で思うのは、これだけやったのだから、と常に他人の承認や成果を求めてしまうことだ。

前にずっと前にここで書いたつもりだった。人に向けて何かを書くということは、メッセージを書いた紙切れをいれた小さなガラス瓶を海に投げ込むようなものだと。誰にも読まれないかもしれなくても、届くことを祈って書こうと思った筈なのに。

そう思い直してみれば、ぼくの言葉が、教えたことが届いている学生の答案も確かにあることこそ喜ぶべきなのだろう。

たとえぼくの言葉が届いてなかった人もいたのは認めざるを得なかったとしても今年も言おう。君たち、本当に楽しかったありがとう、と。(2014年2月4日。番場 寛)

 

「人生でもっとも恐ろしいのは、後悔とともに生きることだ」-村上龍著「結婚相談所」『55歳からのハローライフ』所収を読んで-

買ってから一年ほどたっていたのだが、先日偶然手に取り読終えた。驚いた。村上龍っていつこんな小説も書ける作家になっていたんだろう。

村上春樹の方は新作が出るたびに買って読むのだが、ほぼ同時期にデビューした村上龍の方は最初は読んでいたのだが、センセーショナルな話題や極度に歪んだ状況や人物の設定がどうも好きになれなかった。それでも『イン・ザ・ミソスープ』のように現代日本の時代と状況を、普通気づかない角度から浮かび上がらせる手法を持った作家だという評価は持っていた。

この本を読もうと思ったのは、ここに収められている「キャンピングカー」を雑誌で連載されていたとき一部だけを読んだのだが惹かれたことと、タイトルを「55歳からのハローワーク」と読み違えて、何てリアルなタイトルだろうと身近に感じた。村上が以前出しヒットさせていた、『12歳のハローワーク』というこどものための仕事案内の本のタイトルが頭に残っていたせいだ。

「キャンピングカー」という中編小説は、会社の方針が変わり窓際に追いやられることになった58歳の主人公が会社の早期退職制度に応募して退職したのだが、それは、退職後、妻とキャンピングカーで全国を気ままに旅をするという長年の夢を実現したいと思ったためだ。

しかし、いまの生活の場を離れたくないというという理由だけでなく、子どもたちの結婚資金なども考えると一千万円というキャンピングカーの購入に同意してもらえない。娘の提案で再就職を始めるが、いままで自分の培ってきた営業の実績に基づく自信が、会社の看板を外され世間の客観的な評価にさらされたとき、いかにもろいものかと思い知らされ悪銭苦闘する話である。

いずれも年齢的に近い登場人物がリアルな設定で描かれているため身につまされる話なのだが、個人的に一番感動したのは、冒頭に収められている「結婚相談所」という作品と、「ペットロス」という作品である。

前者は外から見れば何不自由ない生活を送ってきた主婦が定年して家にいるようになった夫と一緒に暮らしていくことに耐えがたくなり、離婚する。しかし将来の不安や寂しさを感じ、58歳になった婚活を始めるという話である。相談所で出会う様々な男の描写は面白いがそれほど驚かない。皆自分の状況は棚に上げて自分に喜びをもたらしてくれる相手を求めてしまう姿が滑稽に描かれている。

韓流ドラマに熱中する主人公が、その婚活のためのパーティに行く途中で、レストランで薔薇の花束を傍らに置き泣いている若い男を見かける。主人公はその男の話を聞き、慰め、二人で男が持ってきたDVDを一緒にホテルの部屋で観ることになる。

感動させるのは、その若い男が、7年間も日本を離れてノースキャロライナで暮らしていたため遠距離恋愛だった恋人に別れを告げられた話である。そしてわざわざかれに会いにくるが、それは関係を修復するためではなく、直に別れの気持ちを伝えるためである。そのとき彼に彼女の気持ちは映画の「ひまわり」を観れば分かるはずだと伝える。

「ひまわり」は確かぼくもかなり映画館で観た映画としては初期のものではっきりと覚えている。イタリアで熱烈に愛し合っていた妻(ソフィア・ローレン)と離れ、戦地に赴いた夫(マルチェロ・マストロヤンニ)が戦地のロシアで死ぬところを助けられた娘と結婚し、子どもも生まれてしまう。

夫が死んだとは思えない元妻は現地まで探しに行き、幸せそうに新家庭を築いている夫を見て泣きながらイタリアに戻る。その後夫がわざわざイタリアに行き、元妻と再会するが、二人は二人が戻れないほど隔たった関係の中にいることを確認してまた別れるという作品である。

列車の窓から畑一面に見える「ひまわり」は太陽を浴びた「性愛」の喜びの象徴でありながそれが絶望的な悲しみへと変化する素晴らしい映像だった。

村上の小説の主人公は、その若い男に別れた恋人がしたことに感動し、よりを戻そうと復縁を願い会ってくれるよう頼む元夫と自分も会おうと決意することになる。彼女がホテルの部屋で若い男と一緒に「ひまわり」を観たあと彼に言う。

「・・・うんと遠くにいる相手のところまで行って大切な何かを伝えるって、それだけで、すごい価値がある気がする。誠意がないとだめだし、相手のことを愛していなければできないことだし、でも、そうすることで、気持ちを尽くすことができるでしょう? 尽くすって、全部使ってしまうという意味と、相手のために何か努力するという意味があるけど、その両方が、あなたの彼女にも、ソフィア・ローレンにも、そしてソ連で所帯を持った元夫にも、もちろんあなたにも、その両方がね、必要だったんじゃないかなって思うの」

若い男と別れた後、主人公はさらに映画について「わたしたちは、別の人生がはじまると、別の人間になる、(・・・)『ひまわり』があれほど切ないのは、年月と状況によって人間が変わってしまうことを、ミもフタもなく正確に描いているからだ」と考える。

そして「心を尽くす」つもりで別れた元夫と再会するが、それはどんなに寂しくてもこの彼とはもう二度と暮らせないことを確認するために会うのであり、それが彼女にとっての「気持ちを尽くす」ことだと考える。

「お金や健康など、不安はある。不安だらけと言ってもいい。だが、人生でもっとも恐ろしいのは、後悔とともに生きることだ。孤独ではない」と自分に言い聞かせ一人で生きていくことを決意する。

これだけで長くなってしまい他の作品を紹介することはできないが、この小説の主人公たちはいずれもアンチ・ヒーロー、ヒロインであり、どの人も現在を必死で喘ぎながら生きている人間である。みな下り坂の人生の途中において何とか踏ん張り希望を見出そうとしている。読み終えて思うのは、これは単に年齢的なことでもなくて、人生の上り坂にいる若いぼくの学生たちだってきっと勇気づけられる作品だということだ。

この『55歳からのハローライフ』を読んで、いつ村上龍はこんなに成熟したのだろう、変わったのだろうと驚くばかりである。(2013年11月4日。番場 寛)

「地獄巡り」と温泉とフランス文学の旅

日本フランス語フランス文学会(別府大学)に参加するため別府に行った。授業でR.バルトのモード論を扱っているが、彼の『モードの体系』についての研究発表と「欲望の哲学」という副題のついた、バルザックの『あら皮』についての研究発表を聞きたいと思ったからだが、会場となる別府には特に訪れたい場所もなかった。

行こうと決意したのが3週間前だったのだが、1時間以上もネットで検索してもホテルがすべてふさがっていて予約できないのだ。学会だけでふさがっている筈が無いと思ったがその訳がわかったのは現地に着いてからであった。結局唯一開いていたゲストハウス、つまりお金を節約したい、主に若者たちが寝泊まりする大抵相部屋の宿泊所の個室が空いていたのでそこに予約した。外国人や若者と一緒の宿に泊まるのも悪くは無いかもしれないと自分に言い聞かせて別府に向かった。

学会では、本学の助教の足立和彦先生の「モーパッサン、マグレブ・レポーター」という題の発表、モーパッサンがアルジェリアに戦場レポーターとして記事を書いていた時期があり、そのときに得たジャーナリズム的言説の欺瞞と限界に気づいたことが後の優れた短編小説の増産に繋がったという発表は論理が明快で説得力に富んだものだった。

会場で出会った友人の話では26日は「ももクロ(ももいろクローバーZ)」のコンサートがあるため人で溢れているとのことだったが、ゲストハウスの従業員の若い男性も、ももクロのせいで早くからそこも予約が入っていたと驚きを語った。

実はゲストハウスに着く前に、学会の懇親会の前に、主催校の計らいで、会場となった「杉乃井ホテル」の露天風呂に入ることができた。まったく予期してなかったことで、夜の外気は肌寒くても露天風呂に入ると丁度良く、別府の夜景を見下ろせる幸運に、感謝したのだった。

だからゲストハウスではただ寝るだけだと割り切ってはいたが、15年ほど前のアヴィニヨンの演劇祭でホテルがとれなくて、ユースホステルで若者たちと同じ鍵のない部屋の2段ベットに寝たことを思い出して、少し不安だった。ただ「ももクロの好きな人に悪い人はいない」、きっと大人しくて熱い若者たちだろう、などと勝手に自分に言い聞かせて部屋へと上がった。一階の食堂ではおそらく初対面なのだろうに熱く語り合っている若者たちを横目で見ながら階段を上がった。

確かにトイレも洗面台もないが、7畳ほどの清潔な畳の部屋の個室だった。鍵は南京錠を外から掛け、中からはつっかえ棒をあてておくというものだったが、なにしろ3千円の部屋にしては素晴らしいと感動してしまった。

翌朝は早く目覚め、駅前のファストフードで朝食をとったのだが、その途中で風呂桶を持って歩いている地元の婦人を見かけたので、自分も部屋にもどってタオルを持ってその温泉に向かった。入浴料が100円なのには驚いた。

何も無い所だと聞いていたので、「地獄巡り」という言葉を見たとき、どうしてもそれを見たくなった。小さい頃から「嘘をつくと地獄に連れて行かれて閻魔様に舌を抜かれてしまう」と言い聞かされて育ったので、「地獄」という言葉には怖れと同時に惹かれてしまうからだ。

ツアーのバスに乗ったがガイドさんが、昔のガイドがやっていたという七五調でまるでカルタを読み上げるように解説をされたときには驚いた。一面コバルトブルーの湯から湯気の出ている「海地獄」、ぼこぼこと沸騰している灰色の熱泥が坊主頭に似ている「鬼坊主地獄」に始まり、「山地獄」「かまど地獄」「鬼山地獄」「白池地獄」「血の池地獄」「竜巻地獄」と様々な湯の色と吹き出る熱湯の様子から様々に名づけられたそれぞれの地獄は面白いのだが、回っていて何かが足りないと思った。

それは青森の恐山を訪れたときに感じたあのこの世とあの世を結ぶような感覚が全然わいてこないせいだと気づいた。「地獄」に惹かれるのはかなり幼い頃に感じていたあの怖れへのノスタルジーがあるからだと気づいた。

それぞれの温泉にある土産を見ていてつい思わず吹き出してしまい買ったのは「毎日が地獄です」と書かれたTシャツである。

福岡に住む友人に言わせれば温泉以外には何もないという別府だが、温泉があちこちにあるおかげで、温泉だけでなくその温泉でゆでた温泉卵や、その熱で作ったというプリンや醤油まであり、さまざまな名物が売られているのだから、地震列島と言われる日本もこのように恩恵を受けそれによってこれだけの人間が営みの糧を得ており、またここを訪れる人にも喜びを与えるのだから不安だけを気にしてはいけないのかもしれない。

ところで二日目の学会だが、エリック・ファイユ氏の「プルーストから三島へ-一人のフランス人作家の眼差し-」という発表を聞いた。影響関係を見出すのは難しいと思われる二人の作家にも、『豊穣の海』と『失われた時を求めて』を比べた場合に驚くほど類似点が見出せるという指摘には驚いた。三島ももう一度読み直さなくてはと思った。

露天風呂から眺めた別府の夜景、「ももクロ」のコンサートのせいで、ひょんなことで泊まることになったゲストハウス、朝に入った街の庶民の温泉場、全然怖くなかった「地獄巡り」、まったく予期しなかった思い出深い旅であった。(2013年10月29日。番場 寛)