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秋の史跡踏査

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国際文化学科主催ではありませんが、史跡踏査のお知らせです。

仏教学会主催で、史跡踏査が行われます。滋賀県の石山寺で、33年に一度しかご開帳されない秘仏の如意輪観世音菩薩を拝観してみませんか?琵琶湖名物のしじみ飯が食べれるかも!?国際文化の学生さんも参加大募集中です!

日時:11月28日(月)

行き先:滋賀県・石山寺

参加費は500円で、拝観料と昼食代は込みです。ただし、現地までの交通費は自己負担となります。参加の申し込み、問い合わせは、総合研究室にいる仏教学科助教の稲葉・宮崎までお願いします。(11月17日:渡邊温子)

乳粥を作ってみよう!

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ダシュ先生の人間学Ⅰのクラスでは、インドの乳粥精進カレーを実習で作りました。乳粥は釈尊が苦行をなさっていたとき、スジャターという女性から乳粥をもらい、悟りをひらかれたという逸話から、仏教では非常に重要な食べ物です。釈尊の口にされた乳粥を再現してみました。

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牛乳に砂糖とカルダモンを入れて、ひたすら煮詰めます。

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途中で、炊き上がったご飯を入れてさらに混ぜます。牛乳が煮詰まって、かさが減っているのがわかりますか?。

乳粥と一緒に豆を使った本格インドの精進カレーもつくりました。具材はとてもシンプル。ジャガイモトマトだけです。油で炒めた具材にショバ先生調合のスパイスをいれて、本格インドカレーになりました。

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おまけにシナモンラッシーもつけてできあがり。

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スパイシーなカレーに、甘い乳粥があっておいしかったです。乳粥は牛乳が煮詰まって、練乳のように濃厚な味でした。釈尊もこの味を口にされていたのかと思うと、とても感慨深かったです。(11月2日:渡邊温子)

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死者は年をとらない―「日輪の翼」「アマハラ」を観て―

 秋になると観たい舞台が目白押しだが、最近気づいたことだが、目の前の舞台を確かに見ているのに想いは同時に別の舞台に飛んでいることがよくある。
 
9月2日に大阪の名村造船所大阪工場跡地の野外で観た、やなぎみわ演出の中上健次原作の『日輪の輪』を観ているときのことだ。様々な死者たちのことが浮かんだ。中上の小説の豊かな神話的世界を2時間あまりの飽きさせない舞台にした演出家と役者にまず賞賛を送るべきなのだろうが、さまざまな死者たちの記憶が去来した。
 
トレーラーの上にポールとたてたり、客席に近い両脇に太いポールをたらしたりして、劇の進行とは関わりなく水着姿の若い女性がポールダンスをするのを観ていてずっと昔、寺山修司の舞台では必ずといっていいほど劇の進行とは関係のない全身白や緑色にぬったヌードの女性が体をくねらせていた姿を思い浮かべていた。
 
派手な観客の度肝を抜くような舞台装置も寺山の舞台そっくりだと思った。時代が経ても変わらないのは寺山の書いた言葉の美しさなのだが、この『日輪の輪』の言葉も普通の会話ではなく、・・・鳥と・・・鳥のさえずりを空で縫い合わせる、などという中上の言葉が山崎なしのおかげで美しく舞台にはめ込まれていた。

寺山修司46歳は中上健次47歳で亡くなっているが今も多くの人に影響を残している。同じ野外劇だったからだけではない。今年69歳で亡くなられた松本雄吉さんの維新派の舞台を観る度に寺山の天井桟敷の舞台を同時に思い出していて物足りないところと、新たに加わったすばらしい点を感じていた。

『日輪の輪』を観ながら同時に他の二つの舞台を観ていた訳だ。そして10月17日に平城宮の跡地で、松本さんが最後に演出し完成したものを目にすることなくあの世に旅立たれた「アマハラ」を観た。
 
維新派の舞台は宿泊をしないで観ることができるものは殆ど観ているが、いつも感嘆する訳ではなかった。あのラップのように単調なリズムで集団で発せられるリズムと俳優達の動きは観ていて心地いいのだが、言葉本来が持つ深さ、物語的時間の奥行きを感じるには不十分なのではないかと感じるときも度々あった。もう維新派を観るのはいいかなと思う事もあった。
 
しかし今回はもうこれで観れないかもしれない、観れたとしても新作はないので無理して行った。足場が悪いので長靴を勧めるし、雨合羽の用意をするようにということで大和西大寺から20分も歩いてたどりついた舞台は、ギリシア神殿のような柱だけが建ち並び、遠くの山を背景にしたものだった。幸い雨は降らず、背景には背高泡立草だと思われる草花の群生がライトに照らされていた。夕焼けから次第に暗くなると星が多く見えた。
 今回は日本人のアジア進出の物語を前面に台詞でも語るもので改めて松本さんがめざしていたものが少し分かった気がした。同時に松本さん自身の思い出も次々と蘇ってきた。今年亡くなるアトリエ劇研で、若い演出家の作品を見に来ておられるときにお話したこと、松田正隆さんの絵画鑑賞型の「広島―ハプチョン」という作品のアフタートークの時「この作品はのちに最大のスキャンダルとされるか革新的な作品として評価されるであろう」という内容のことを語られたことなど次々と思い出された。
今回の「アマハラ」で驚いたのは物語性を強く打ち出していることだけでなく、ノースリーブの女性が柔らかなくねらせる曲線的な動きの踊りをしている場面が目立ったことだ。
 
白塗りし、帽子を被り、半ズボンを穿いた少年を少女や女性達が演じているのが維新派の定番だったから驚いた。大きな皮のスーツケース、石炭や重い荷物を運ぶ労働者、定番の衣装ももうこれで観られなくなるかもしれないと思うとより貴重に思えてくる。
 
今回気づいたのは「女性性の強調」以外には、ある人物の周りをもう一人の人物がわまるという振付が加わったことである(ひょっとして前からあったのかもしれないが)。なぜなら客席に向かって水平か垂直に向かう動きが維新派の舞台では多いからだ。
 
平城宮跡という長い時間の跡にまるで奇跡のように演じられた舞台を残した人。その人は69歳で止まりもう年をとることはない。今回の舞台でも繰り返されたが登場人物の少年の「オーイ」という呼び声は、死者たちへの、そして死者たちからの呼び声に聞こえた。
(2016年10月26日、番場 寛)

「踊る」とはどういうことか―田中泯「おどり」、baobab「靴屑の塔」、山下洋輔・勅使河原三郎「UP」―

 おとといようやく観ることができたドキュメンタリー「園子温という生きもの」(京都シネマ)の中で園は「時間がない!生きることを出しおしみするな。」と言っていた。
最近たまたま観た3つのダンス(踊り)はいずれもまったく異なっているようでいて「踊り」そのものへの根源を考えさせずにおかないすばらしい作品であった。くそれぞれの作品を観ながら同時にその前に観た作品のことを考えていた。

3作品の中でも特に驚かされたのは、9月29日に京都の町中の家の土間のようなところ(素夢子古茶屋)で田中泯が踊ったそれこそ「おどり」という作品だった。着古した泥のような着物の下に緋色の着物をまとい、胸をはだけて踊るさまは不思議な姿だった。ゆらゆらと体の軸は分かるが、自らの身体を意識的にどのように動かそうとしているのか、それを見ていて言葉にできないのだ。敢えて言えばどう動かそうとしているのか分からないという点で、日常の動きではなく意識的な表現になっているとしか言えない。

もちろん一個の裸電球を服の中に隠し踊ることや、途中で通りに面している戸をあけ放ち、京都の町中を歩くひとたちとの対比を見せるなど演出が入っていることは明らかだが、風がそよぎ、水が流れるのを、人は解釈できないように彼の踊りをどのように言語化できるのか分からなかった。

10月8日のBaobabというグループの5人によるダンス作品(言葉も入る)を京都芸術センターで観ている時に考えてしまったのは田中泯が踊った後でトークの時に語った言葉である。彼は「現代では多くの踊りのようなものに分かれてしまったが、踊りのねっこは一つだ」と言う。その踊りの根源とは何だろう?

Bobabの若いダンサーの踊りは観ていて爽快で、一つ一つの動きを言語化できるし、それぞれの動きをどのように組み合わせて時間の中で「物語」を創ろうとしているかが明確であった。床一面に散らばった靴を使うだけで動きの幅が広がり、物語化にも成功していた。

観ていて振付の困難と見事さを感じたのは、「人間の眼というのは何て勝手で傲慢なのだろう」ということだ。どんなに素晴らしい身体の動きでも、それがある時間繰り返されるのを見ていると飽きてくるのだ。そのため次々と違った動きをしなければならないのだ。

それを更に強く感じたのが、その翌日池袋の東京芸術劇場で観た山下洋輔のピアノに合わせて勅使河原三郎と佐藤梨穂子が踊るUpという作品だ。翌日ラカンの研究会を控えていたが、これをどうしても観たくて日帰りで観てきたのだ。

勅使河原、そして佐藤は、二人とも体の軸を中心に点対称の捩るような動き、正面を向き、手脚のどこかだけを意識的に動かし分節化する。運よく前から3列目の席だったので、隅々までよく見えた。腕や脚の先端までも意識的に動かすのを観ていると、本当に二人は身体の動きのボキャブラリーが豊富であると改めて思い知らされる。

しかしある時間観ているとその素晴らしい動きさえも飽きるのだ。だから次々と異なった動きに変えていかざるをえない。

そんな中で、観客の度肝を抜く演出があった。それは途中で佐藤が、王女のような緋色のスカートを履いて大きな馬にまたがって舞台に登場した場面だ。

馬は最初おとなしくたっていたが、やがて音楽に合わせてピアノのまわりを闊歩し始めたのだ。訓練されたとはいえある意味馬にそっては自然な動きなのだが、それが見事でそれまで必死で振付け踊られたダンスの見事さにも劣らず見事だと感じてしまった。

踊り終えた勅使河原の額に浮かぶ血管を見て改めてダンスの激しさ、厳しさを感じたのだが、同時に浮かんだのが、今も人里離れた山の中で農業をしながら踊っているという田中泯の言葉だった。

ぼくの考えはこうだ。踊りとは生まれながらに死を身体にはらんだ人間が、その死に抗って生き抜こうとする様をもがきながら意識的に身体で表そうとする行為ではないか。ひょっとしてそれが、あの素晴らしいBaobabのダンスを見ていたときに感じたほんのかすかな物足りなさだったのかもしれない。(2016年10月14日。番場 寛)

あま〜いホラーカフェ

イベントのお知らせです。

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在学生を対象とした国際文化学科主催イベント「あま~いホラーカフェ」を開催します。国際文化学科だけでなく、他学科の学生も歓迎しますので、ぜひご参加ください。アジアとアメリカのホラーな世界を体験してみませんか?仮装での参加、大歓迎です!温かい飲み物とお菓子を準備してみなさんをお待ちしています。

日時 2016年10月26日(水)16:30~18:00

会場 慶聞館4階南マルチスペース

対象 本学学生・大学院生

*国際文化学科だけでなく、他学科の学生の参加も歓迎します。

(10月5日:渡邊温子)

ゴジラより少女がいい―「シン・ゴジラ」「裸足の季節」「わたしの名は」を観て

 普段は巷でヒットしている映画は絶対観ないのだが、どうしても気になって庵野秀明総監督の「シン・ゴジラ」を観てしまった。なぜ観てしまったかというとある芸術家が絶対観ないぞと書いてある悪口に彼がいかにゴジラを好きかが現れていて観たくなったからだ。

最初は拍子抜けした。最初に現れたゴジラが縫いぐるみの蛇のようにリアルでなかったからだ。これがなぜヒットしたのか分からなかったが、時間が経つにつれて引き込まれていった。以下は予備知識なしに観たまったくのゴジラ素人の感想であり、ネタバレにも引っかかるかもしれないので注意して読んで欲しい。

この映画は自分にはあまりにも2011年3月に起きた福島の原発事故を想定して作られていると思った。海底の核廃棄物を食べてこのように巨大な化け物になってしまった生物という設定からだけそう思うのでなく、ゴジラが現れた時の政府の危機管理の対応の仕方は、ニュースでわれわれが知ることができた限りでの福島の原発事故への対応をなぞっておりそれを更に誇張しているように見えた。

今回の「ゴジラ」とは暴走し、人の生命と国家を脅かし、破壊する「原発事故」そのものだと思う。「シン・ゴジラ」のシンとは「新」というより「真」つまり本当の「ゴジラ」つまり「原発(事故)」の姿だと思った。

まだ観ていない人のためにこれくらいで止めておくが、人に勧めたいのは、フランス、トルコ、ドイツ映画のデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督「裸足の季節」だ。舞台はトルコで、親を亡くした5人の姉妹たちが厳格な伯父と伯母の家に預けられるのだが、宗教上の理由なのか、その家庭の特殊性なのか、本人達の意志は無視され、半ば牢屋に閉じ込められるような生活を余儀なくされている。

それをなんとか逃げだし、男の子と会ったりサッカーの試合に行くのだが、見つかってからは更に厳しい制限を受ける。一番年下の娘が、まったく気の進まない相手と結婚させられそうになった姉のひとりと脱走する話なのだが、それがゴジラなどとは比べられないくらいはらはらさせられるのだ。

5人の少女のしなやかな肢体、躍動感に酔いしれるが同時に彼女たちの強さ、たくましさにも感動する。

これを観ていて前に観たアニエス・べー監督の「私の名は」との共通点に気づき、驚いた。どちらも少女が自由を求めて脱走するのだが、その大きな原因に肉親や身近な男性の性的虐待があることだ。そしてどちらも彼女たちに性的欲望を抱かず、まるで友人のように接する年の離れた男性がいて彼女たちを助けることも共通している。

「シン・ゴジラ」が描いているのが現代日本社会そのものだとしたら、少女の2本の映画が描いているのは、性的欲望から自由になったときの「理想としての少女」なのだろうか?
                    (2016年9月3日。番場 寛)

パリに行かない夏

 2016年の夏はここ数年毎年のように行っていたパリに行かなかった。テロが怖かったせいではない。毎年参加している研究会が今年は早く終わり、9月になりパリがバカンスから動き始める時期まで滞在できないと思ったからだ。
 
それだけではない。久しぶりに机に向かって読書に専念したいとも思ったからだ。しかし予期しないことが起きてしまった。田舎の母が入院してしまい、妹と交代で病院に通わなければならなかった。幸い新潟の田舎はことのほか涼しくエアコンなしでもなんとかしのげた。
 
病院に行き帰ってくるまでの数時間を除いては、映画も演劇もダンスも観ることのできない禁欲的な時間を読書に当てることができる筈だった。しかしオリンピックがあった。中でも昔卓球をやっていたので、福原選手、水野選手のプレーには見ているだけでこちらの体まで反応した。ボールの回転の向き、ボールを打つコートの位置、相手との駆け引き、久しぶりに卓球の面白さを思い出した。
 
今は大学の仕事で京都に戻っているが、埼玉を回って帰るとき、彩の国さいたま芸術劇場でノイズムのダンス公演「愛と精霊の家」を観た。クラシックバレーの身体の動きをコンテンポラリー用にアレンジした振付に見えたが、コンパスを回すような身体の動きは、ただただ美しいとしか言えない作品で最初から最後まで面白いのにその60分は耐えがたいほど緊張して観ていた。
 
その後、ふとあるまったく拙いダンスを思い出した。それはたまたまもう20数年ぶりに一人で行った地元の祭りで観た子どもたちのダンスである。Exileの踊りを見ても何も感じないのに、Exileの曲に合わせて踊る田舎の子どもたちの拙いダンスが面白かった。          
 
神社はもとの位置にあったが周りに新興住宅が乱立しており、花火は殆ど上の開いたところしか見えなかった。夜店で昔好んで食べていた地元の業者のお饅頭を買って帰ってから食べたが、それなりに美味しかったが全く違った味に変わっていた。最初に作っていた業者が権利だけを他の業者に売ったからなのだそうだ。それでもそれを通して今は味わえない昔の味を懐かしんだ。
 
別の地区の親類の人からは、住民が年寄りだけになり祭りをすることが苦痛で止めたいという意見も出るが、みな「伝統を守ろう」という言葉で打ち消されてしまうのだと言う。またその2日前にも別の地区の祭りの屋台を見たが、少ない幼い子どもたちと小学生、中学生、中年の人たちで引く青年のいない屋台はどこか寂しげだったが、その屋台を見たら牛若丸と源平の人形の舞台が精巧に作られていてすっかり感心した。
 
ある日病院の近くを通りかかったら老人だけがトラクターで屋台を引いているお祭りに出くわした。そこは都会のど真ん中なのでそうなるのだと思ったが、そうまでして続けなくてはならない祭りの価値とは何だろうとも思ったが、たとえどんなに形が変わろうと現在もそこで住む人々にとって祭りは必要とされているのだろう。
 
飛行機で12時間も隔たった土地で過ごすことがマンネリ化することもあるのに比較的近くにある場所でもそれこそ大江健三郎の小説の題名ではないが「日常生活の冒険」のように違った視点で見ると発見があることを改めて思い知った。(2016年9月1日。番場 寛)